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私の新しい居場所(発達障害者の私)

パソコンに向かう女性 生きづらさを抱えて
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発達障害の診断を受けるまで

診断書のイメージ

私は学生時代はどちらかというと自分に自信を持っているタイプの人間でした。

中高生時代は校則を真面目に守りながら勉強も一生懸命し、国立大学に合格した時にも「自分は、やればできる人間だ。」と思っていました。しかし、卒業論文を書くようになってからなんだか周りとのギャップを感じるようになり、言葉にできないしんどさがありました。

私が広汎性発達障害の診断を受けたのは20代後半なのでこの時はまだ自分にそういう特性があることも知らず、なぜみんなと同じようにできないのかと苦しんでいました。

当時、教授や同級生にかけられて最も悲しかった言葉は「りんさんにはやる気がない。」でした。

こんなにも一生懸命頑張っているのになぜ周りから「やる気がない。」と言われるのか分からず、論文の執筆が進まない上に教授や同級生との溝はどんどん深くなっていくよう感じました。

徐々にご飯が食べれない、眠れない、突然涙が出る、そんな日々を送るようになりました。

その後、なんとか卒業論文を書き終え、今度は働くようになりましたが職場でもどうしても周囲に馴染むことができず、仕事が覚えられない上に休憩時の雑談もうまくできず、先輩とも同期ともぎこちない関係となってしまっていました。

その頃にも上司や先輩から「りんさんからはやる気が感じられない。」「どうせ腹の中ではなんで自分がこんなことをしないといけないのとでも思っているんでしょ。」と言われ、どうしたらいいか分からずただただ苦しむだけの日々でした。

結局そのまま一年足らずで仕事をやめてしまいました。

退職届は書きましたが、状況的にはクビになったと言ってもいいくらいでした。それくらい私は周りから見ても関わりにくい人間だったんだと思います。

それからしばらくして私はようやく知能検査を受け、広汎性発達障害の診断が下りて精神障害者福祉手帳の2級を取得しましたが、今度は将来への不安を強く感じるようになりました。

自分はもう働けないのではないか、SNSで見る友達のようなキラキラした生活は送れないのではないか、と思うようになりました。

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在宅ワークとの出会い

パソコンとデスクワーク

そこで探したのが在宅の仕事です。

私は幸い小学生の頃からパソコンに慣れ親しんでいたので、最低限のスキルはありました。

最初の一歩こそ本当に自分に務まるのか、怪しくないのかととても不安でしたが、いざ始めてみると自分で仕事を決められる分、自分のその時の体調や状況を冷静に考えたり、その仕事を本当に最後まで責任もってやり遂げられるかということを慎重に考えることができました。

作業中に他者に話しかけられたり、相手の顔色をうかがう必要がないことも大きな要因だと思います。

パソコンで仕事をするようになってすぐは、なるべく単価の低い、短時間で済むようなものを選んでいました。それは突然体調が悪くなったや無理をしすぎないようにというのもそうですが、負荷や責任が大きいものに挑戦する自信がなかったからです。

なので最初は数分で終わるような仕事ばかりをしていましたが、数をこなすうちにもっと違うものにも挑戦してみたい、今の自分ならもしかしたらもう一歩進めるかも、と思い、ある程度の期間が決まっている仕事に挑戦してみました。

それを無事にやり遂げられた時はお金だけでなく達成感や満足感を覚え、きっと自分には就業能力がないのではなく、対人コミュニケーションに難しさがあるだけでお金をいただく能力はあるんだと気付くことができました。

新しい居場所

女性の後ろ姿

確かに収入の安定さで言えば、まだまだ不安なところもあるかもしれません。

しかしそれ以上に一度はもう二度と働けないと思っていた自分がこうして自分の意思で働き、自分のスキルや時間に対してお金をいただくことができるという自信を取り戻すことができました。

そしてそのお金で自分の行きたいところに行ったり欲しいものを買って、より自分らしく生きられるようになったと思います。

これは労働に限らず、友人作りや外出など他の場面でも一歩踏み出す勇気に繋がりました。

一度とことん落ち込んだ分の反動もあり、今は学生時代より強く確実な自信と新しいことに踏み出すチャレンジ精神を得ることができた思います。

これからの時代、働き方が非常に様々になっていく中で私の新しい居場所がパソコンの中にあるのかなと思います。

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