ある日突然、難病と診断されたら

障害者の生き方
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今まで聞いた事もない、なにやら難しい名前の難病。「あなたの病気は難病の○○です」と突然お医者さんに言われたら。あなたは、どうしますか。

ええっ!と驚きますか。

そ、そんな…と涙を流しますか。

ある程度事前に自分で予測していたのなら、動揺しつつもお医者さんに詳しい説明をお願いするかもしれませんね。

私の場合は、その時の記憶がありません。診断を聞いた時の記憶やその直後の病院から出て帰宅したことも、同行していた母親とどんな会話を交わしたのか、も。

高校2年生でしたから幼すぎて記憶が無かったのではありません。診断を聞く前に受けた検査(後述しますが、まるで拷問のような激痛の「筋電図検査」。一生、忘れられません)ははっきりと覚えているのですが。

人間は大きなショックを受けるとその部分の記憶を無くす、とよく聞きますが、それなのでしょうか。私自身、メンタルは割と強い方だと思うのですが、やはりこの難病診断は相当ショックだったのでしょう。

まあ高校2年生ですから、今と違い、純粋だったのですよ。あれれ、どこかから驚きの声があがっているみたいです。

私は小学生の頃から、周囲の人達よりも走るのが遅い、運動が苦手、筋力が弱いなど少し他人とは違うと自分でも感じていました。

そして健康診断で骨格筋などの異常が見られ、整形外科を受診も難病を見過ごされ続け、やっと専門病院へ紹介されたのは初診から約7年が経過し、私は高校2年生になっていました。

そして先ほど書きましたが「筋電図検査」というものを受けました。長さ約5cmの細い電極針を足のふくらはぎなどの筋肉に刺された状態で、自分の筋肉に力を入れたり抜いたりします。お医者さんはその針をグリグリと筋肉内で動かしたり刺し直したり…。筋肉が収縮した時に発生する波形を計測し、異常が無いか調べるのです。もう痛すぎて、もう嫌だと泣いて拒みましたが「もう少しだから」と。あれは二度と受けたくない検査でしたね。

そう、私は筋疾患の進行性難病だったのです。その検査を受けている時はそんなことは何も知らされていないわけですが、お医者さんはその難病の可能性を既に確信していたのですね。

そして検査後に、難病の病名の告知がありました。いえ、あったようです。

ここらへんからもう記憶がありません。ここからは、同行していた母親の記憶による証言ですが、病名を聞いた時に母親はもちろんどん底に落とされた気持ちだったとの事ですが、私もその場で泣いていたそうです。そうか、泣いていたのか。純粋な乙女でしたからね。

一般的には、全身の筋力が衰えて将来歩けなくなり、車椅子生活、寝たきりも…という状態になると説明があったそうです。当時は現在ほど病気のメカニズムも全然解明されておらず、患者に希望を持たせるような説明は何も無かったそうです。

そして病院を出て帰る時、その病院の敷地内にたくさんある桜が、とても美しくはらはらと花びらを舞わせていたのだとか。母は、私と一緒に泣きながらその下を通って帰る時に、美しい桜がとても残酷に感じたそうです。

だから母は今でも「桜は嫌いだ」と言います。桜のせいではないのに、桜も気の毒に。

難病に限らず、病気などの告知は誰にとってもショックが大きいもの。

高校2年生のときに、いきなり告知されたって、どうしてよいか全く分かりませんでした。だけど私以上に母は、たまらない気持ちだっただろうなと当時の母の年齢を過ぎた今の私なら、母の胸の痛みが分かります。

私はその後、人生の選択をする時には、この難病ゆえの呪縛に捉われていくのです。

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