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ドラマ「かぞかぞ」と私と難病にまつわるエトセトラ

夕日に向かって浜辺を歩く家族の後ろ姿 生きづらさを抱えて
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先日に放送されたNHKBSプレミアムドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』。愛称「かぞかぞ」。

ドラマに関する考察はそのときに書かせて頂いたのだが、こんなにもドラマの内容が胸に染みたのは、難病宣告された私自身の生い立ちにもつながるものがあったのだと気づかされたことが大きい。

キーワードとなるのは「だいじょうぶ」の言葉。

今回はそれを書いてみようと思う。

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「だいじょうぶ」に込められる深い愛

ドラマの中で、早世した父・耕助が生前によく口にしていた「だいじょうぶ」。

「おまえなら、だいじょうぶや。できる。」と家族を励まし見守っていた魔法の言葉。でも急逝したあとに残された家族にとっては、その言葉が支えになるときもあれば、呪縛になることもある…という感じの描かれ方だった。

内容を端折り過ぎているので、本当はもっと丁寧にドラマを端から端まで観て、その複雑な感情の描かれ方を皆さんにも感じ取ってほしいなーとは思っているが、いったんここでは置いといて。

「だいじょうぶ」と肯定形で言われれば、何か安心できるものが含まれている。言葉が持つ力とでもいうのだろうか。

我が家はおかげさまで今も両親とも揃っているけれど、子供に関わることは主に母が担ってきた。昔はそういう家庭が多かった。

だから母とは密接な関係を築いてきたはずだけど、私はこの言葉を母からかけてもらったことは無いような気がする。

なぜなんだろう。

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どうせならもっと愛情を感じたかった

机で勉強をする少女

どちらかといえば私たちは、ベタベタとした愛情表現はしない家族だった。

「かわいいね」「すごいね」「頑張ったね」とか面と向かって褒められた記憶がない。学校のテストで良い成績を取ったり、志望校に合格したなど報告したときには何らかの肯定的な反応をしてもらったとは思うのだけど、ものすごく喜んでもらったとか褒めてもらったということはなかった。

そのかわり、勉強しろとかうるさく干渉されることもなかったし、子供がやりたいことは(常識的な範囲でなら)認めてくれていたように思う。

年に一回の車での家族旅行が楽しみだった、ごく普通の家庭でもあったし、普通に子供を慈しんでくれた家庭だったはずだった。

なのに、どうしてだろう。

ドライな関係で、放任主義な感じだったからだろうか。「愛されている」とも感じなかったのだった。

それは、ふとした時に見せる、母親の曇った顔が原因だったのかもしれない。

安心させてくれるだけでいい

 

病院の暗い廊下

9歳頃に骨格などの違和感を指摘され、母と一緒に通院した日々。脊柱側弯症ですねという腑に落ちない診断だったけどその後、約8年も定期健診で通院したときの、待合室での母の不安げな眼差し

母はいつも眉をしかめて曇った顔で他の人達を見て、そして私を見る。

単に整形外科で経過観察だけ強いられる、よくわからない状況への不安だった。

「きっと何か違う病気では」。私も母も決して口には出さなかったが(言葉にするのが怖かった)そう感じていた。

そんな不安げな母の表情が、私の心には痛かった。つらかった。

そしてその後、8年ほど経った頃に誤診だったことが判明し、別の病院で、進行性筋疾患の難病だと告知される。

私が難病告知されたあとの母の不安げな顔は、得体のしれないものへの不安ではなく、寝たきりになるかもしれないと言われた残酷な難病患者の将来への不安へと変わっただけだった。

母もショックだっただろうけど、当の本人である私ももちろんショックで。

だからこそ「だいじょうぶ」と言ってほしかったんだ。

全然大丈夫じゃないんだけど、現実には筋低下は進んでいくのだから大丈夫じゃないんだけど、でも自分の子供を安心させるために「お母さんが付いているから」とか「一緒に考えていこう」とか寄り添う姿勢がほしかったと思う。

そして子供の頃の私は、笑顔で抱きしめてほしかったんだ。

私は、わけもわからずただ一人で目に見えない不安に耐えるしかなかった。

だから、ドラマの中で慈愛に満ちた「だいじょうぶ」を発する錦戸亮さんを見て、「ああ、私もこういうふうに言われたかったんだ」「安心させてほしかったんだ」と涙が出たのだった。

母も必死に心の中で闘っていた

抱き合う小学生の少女と母親

実のところ、母は母で、福祉制度だとか病気に関することなどいろんな情報を集めたり陰で奮闘していたのだが、私とは一歩離れたところにいるような感じだった。

母は私の事を心配していないとか愛していないということではないのだけれど、子供を安心させるような言葉をあまりかけない人だったように思う。

そして自分の中に不安を溜めこんでしまう人でもあった。子供の将来を悲観して、自分一人で勝手にしんどくなってしまう性格でもあった。

今は高齢者となった母と、人生の折り返し地点を過ぎた私との現在の関係性はといえば、言いたいことをお互いに言い合えるようにはなったのだけれど、今度は正直に思いをぶつけ合いすぎて、ひどい喧嘩になるのが最近の悩みである。

子供の頃に「愛されている」と感じなかった件を最近、母に伝えたのだが(言うか言うまいかかなり悩んだ)、母はとても悲しんだ。

そんなつもりは毛頭なかったそうで、こんなにも子供のために尽くしてきたのに…ということだった。ああ、言わなければ良かったと思ったが、時すでに遅し。

「愛されていると感じなかったということじゃなくて、えーと、ベタベタとした愛情表現じゃなかったよね、という意味だし」と何とかごまかしたが、ドライに見えても、やはり親は子供のことを思っていたのだなと実感したのだった。

私はもう「子供」なんて呼ぶ年齢でもなくなり、甥や姪の成長に目を細める日々だけど、彼らにはいつもこのように声を掛けるようにしている。
「がんばったね」「自分らしくでいいんだよ」「だいじょうぶ」

そんな言葉くらいで。

されど言葉は大切。

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