2023年1月。
ひきこもりに関する、痛ましい事件が報道されました。
すでにご存知かもしれませんが、50代のひきこもり男性が両親を殺害。ご遺体を冷蔵庫に遺棄するという事件が起きました。
このニュースを見て、みなさんは引きこもりに対して、どう感じられましたか?
ひきこもりは怖い
ひきこもりは犯罪につながる
とても理解し難い行為
ニュースのコメントなどを見ると、上記のような印象を持つ方もいらっしゃるようです。
私はかつて5年ほど「ひきこもり」をしていました。幸い家族の支えのお陰で立ち直り、現在はライティングやひきこもり支援活動をしています。
今回は、そんな経験者が事件を見て感じることを語ります。
そして、現在ひきこもりで苦しむ方々には灯火となり、ひきこもりの実態を知らない方々には、経験を伝え偏見や差別を減らしていこうと思います。
ひきこもりは犯罪予備軍ではない
ここは感情論ではなく、客観的な数値から読み解いていきたいと思います。そして、前置きとしてお伝えしておきたいことがあります。
ひきこもりの殺人事件を肯定しているわけではない
事件の結果だけを切り抜くことで生まれる、偏見などの弊害を懸念しています。そのために、ひきこもり経験者として事件を語りたいと思います。
結論から言うと、年間の殺人事件数に対して、ひきこもりが関わっている事件数は少ないということです。「だから良い」という話ではありませんが、件数だけを見ると少ないです。早速データで見ていきましょう。
まず、大きい数字から見ていきます。
- 全国ひきこもり数 70万人(内閣府調べ)
※データに表れていない数を含めると100万人規模と推測されています。
※100万人というと秋田県の人口、仙台市の人口に匹敵します。東京都世田谷区の人口が90万人です。 - 年間の殺人事件件数 1,000〜1,100件 (警察庁調べ)
- 年間のひきこもりが関わった殺人事件件数 2件
このデータから分かることは
- ひきこもりの数はかなり大きくなっている
- ひきこもりが殺人事件にまで発展した割合は、殺人事件全体の0.2%
この数値から、凶悪な殺人事件とひきこもりを結びつけることは難しいことが分かります。
しかし、ひきこもりの総数はかなり大きくなっており、増加傾向にある。そのため、ひきこもりに対する支援が現状のままなら、今後事件に発展するケースが増えていくことが予想されます。
また総数が100万人近い問題は「社会問題」とも言えます。もう家庭や個人で解決できる問題ではなくなりつつあると思います。
ひきこもりが深刻化し、殺人事件にまで発展したものは、世の中に衝撃が走るほどの凄惨な事件だったりします。そのため人々の印象に残りやすいことも特徴です。
過去のひきこもりに関する事件
川崎市登戸通り魔事件(2019年)
50代ひきこもり男性が小学生を襲い2名が死亡。18人が負傷。
犯行直後に容疑者は自殺。
8050が社会問題となる。
ひきこもり=犯罪予備軍というイメージが世に流れた。
元農水事務次官 長男殺害事件(2019年)
上記事件の4日後の出来事。
元農林水産事務次官の父が、ひきこもる44歳の息子を殺害。
深刻化した家庭内暴力が発覚。
ひきこもりは異常者という印象が加速する。
これらの報道でひきこもり支援が増えていくと同時に、ひきこもりは社会から奇異や偏見の目で見られていく事になります。
長期化・深刻化・孤立化の先に凄惨な事件がある
引きこもりに対し偏見や差別が増えると、本人やその家族はどうなっていくのでしょう。
答えとしては「孤立化」していきます。
- 本人はますます外に出づらくなる
- 就労のハードルが上がる(採用してもらえない)
- 家族も周囲に相談しづらくなる
孤立化すると、深刻化し長期化していきます。そのような状態になると何が起きるか。それは冷静な判断ができなくなり、極端な行動をとる傾向に陥ります。
「いっそ親子で死んでしまった方が良いのでは」
「自分を見捨てた社会に復讐をしたい」
「子供が事件を起こす前に殺してしまおう」
このような極論を本人たちは「もう、これしか道は残されていない!」と思い選択していきます。
ここからは私の実体験です。孤立化した家族はどのような状況になっていくかをお話ししたいと思います。
ひきこもり渦中の私は、今とは全く異なる性格に変わっていました。ひきこもり前は比較的温厚で、あまり怒ることはありませんでした。
それが、ひきこもりが長期化するにつれて、どんどん怒りっぽくなりました。粗暴な人格に変わっていったのです。
例えば、家族がたてるちょっとした物音で激昂していました。歩く、掃除機をかける音が、自分に対する当てつけのように感じていました。
また、将来の話をされようものなら、発狂に近い態度をとっていました。
普通の人には理解できないと思いますが、これが当時の正直な気持ちです。少しでも自分に負荷がかかることが嫌だったのです。少しでも自分の心地よい環境を維持するためなら、人に迷惑がかかろうが、何とも思わない性格に変わってしまいました。
しかし、それとは違う元の人格も残っています。その2つの人格が常に自分の中で戦っています。元の人格が粗暴に変わった自分を許せなくなっていきます。
そして、「生きていても仕方がない」「むしろ生きていてはいけない」と思うようになりました。そのときの具体的な行動は、
- 賃貸物件で自殺をしたときの損害賠償を調べる
- 自殺の仕方を調べる
- 実際に自殺するための場所を探し、道具を揃える
専門用語で言うと「自殺企図」という状態です。自殺のために具体的な計画を立てている段階です。それを見て家族は毎日泣いていました。
幸い、私の家族は外に相談する場所を見つけていました。そこでかなり救われたと言います。結果、その周囲への相談が功を奏し、抜け出すことに繋がっていきます。
悪意あるコメントから感じる、根強い偏見
この手の事件は悪質なコメントが多いように感じます。
インターネットは便利なツールです。つながる人を自分で選択でき、リアルでは交流できないような人たちから、たくさんのことを学ぶことが可能です。
反面、意図的に不快行為をする人たちも存在します。そんなデメリットとどう付き合うかが大切になってきます。
これも実体験なのですが、私がひきこもりに本気で悩んでいたときのお話をご紹介します。インターネットの掲示板でこんな相談をしていました。
「ひきこもり状態だがどうしたらいいか」
「死にたいと思っている」
すると、次のようなコメントが返ってきました。
「ひきこもりは死ね」
「ひきももりとか気持ち悪い」
「自業自得」
当時はうつ状態もあり、真に受けて大きな精神的ダメージを負ってしまいました。
これは世の中の総意ではありません。一部の人が愉快犯的に行なっている行為です。インターネット上の書き込みは、自分は傷つかずに一方的に人を殴れるという性質があります。そこを理解した上で、有益な情報のみを拾い上げる必要があります。便利な道具ですが使い方が肝となります。
よく言われる対策として「悪意あるコメントはスルーする」。それが難しい方は「コメントは見ない」といった工夫が必要です。
なぜ、そんなコメントがあるのかを考えてみました。おそらく彼らは、社会的弱者のネタが燃えると知っているからです。
引きこもりに対して、世間が何となく感じていること。思っているが口には出さないこと。それら偏見などのネガティブな感情を刺激することで、大きく燃え広がると知っているのです。その様子を見てニヤリとなるのでしょう。
まとめ
今回はひきこもりに関する事件を、ひきこもり経験者が考察してみました。
このような事件は結果だけを切り抜いてしまうと、「ひきこもりは怖い存在」となりかねません。結果、孤立化が進んでしまい、誰からも支援されず極端な行動に走るという悪循環に陥りがちです。
ひきこもりを正しく理解し、社会で解決する仕組みが必要だと思います。