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自分で決めるということ -過干渉からの脱却-

森の中での女性の後ろ姿 生きづらさを抱えて
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私と母の関係

鳥かご

私は常に母の監視下で育ちました。いわゆる過干渉です。

物心がついた頃からずっと誰と遊ぶにもどこに行くにも何をするにも全て母の許可が必要でした。どんな服を着るかもです。

そしてその度、その子はダメ、そこはダメ、それはダメ。あなたはこの子とここでこれをして、そしてこの服を着なさいと言われていました。

受験する大学を決める時にも「いつでも帰ってこれるように実家から片道100km以内のところしか受けさせない。」と言われ、やりたいことではなく距離で進路を決めるよう迫られました。

その後、無事に地方の国立大学に進学することができましたが、そういう理由で決めた大学にはそれほどの喜びもなく、私は常にふわふわした空っぽな生活を送っていました。

そんな環境で育った私は、何をするにも常に誰かの許可を求め周囲の人々の顔色を求める人間になりました。自分では何一つ決断できず、すべて誰かの指示に従うしかなかったのです。

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勇気の一歩

旅に出る女性

就職先も親が決めました。もちろん実家から通えるところです。

友達と遊びに行ってもなんだか母親に監視されているように感じ、どこにいても母親の視線を感じて怯えて暮らしていました。恋人ができても親に言ってなかったので悪いことをしてる気分でなかなかデートを楽しめずうまくいきませんでした。

そんな日々が嫌になり、ある日家を飛び出しました。

引っ越してすぐは何をするにもとても怖く、何も決められませんでした。許可を得ずに外に出たことがほとんどなかったので、散歩にすら行けませんでした。

周りの方は「りんなさんの人生はりんなさんが決めていいんだよ。」と何度も伝えてくれましたが、その日に何を食べるかすら決めることができず、そんな私を見て医師は「今まで自分で決めるという経験がないという人にいきなり決断させるのは酷だ。」と言ってくださり、気長に見守る体制を作ってくださいました。

散歩に行くのも誰の許可もいらない、ご飯を食べに行くのも、友達と会うのも、何をするのもどこに行くかも全部全部私が決める。そんな単純なことさえもできず、何度も何度も怖くていつも誰かの許可を得ようとしていました。

それがそれまでの私の生き方だったからです。

でもこのままではいけない、こんなの私の人生じゃないと思い、少しずつ自分で決める練習をしました。

最初は何をしても罪悪感が酷く何度も親のもとに帰ろうとしていましたが、誰にも言わずに好きなところを歩く気持ちよさ、好きな時に好きなものを食べる心地よさ、好きなタイミングで好きな人と会えることの有難さとその満足感を知りました。

同時に、自由というのは責任が伴うということを知りました。

「決めたのは自分」。

誰のせいにもできません。食べたいと思ったものが売り切れていても良いなと思って仲良くしていた人が変な人でも自分がやりたくて始めたことがすごく大変なことでも、すべて私の自由であり責任。

でもその責任もひっくるめて自分の人生。親元を離れてやっと身をもってそれを学ぶことができました。

感謝の気持ち

一つ一つの成功体験のおかげで今があります。

ここまで見守ってくださった支援者の方々への感謝の気持ちはもちろん、何よりもずっとずっと頑張ってきてくれた自分を労わる気持ちを忘れずにこれからも頑張っていきたいです。

親との関係に苦しんでいるあなたへ

ひまわりと青空

ここまで読んでくださった方の中にも、親御さんとの関係に苦しんでいる方がいるかもしれません。親子の関係というのは友人関係とも恋愛関係とも違い、特殊です。あなたの辛さをなかなか共感してもらえないかもしれません。

でも大丈夫、あなたの味方は絶対にいます。

そして特に忘れないでほしいのが、あなたはあなたの一番の味方でいることです。

あなたが自分のやりたいことをすることも行きたいこところに行くことも何も悪くありません。当然の感情です。

あなたは何も悪くありません。

あなたはあなたの人生を生きましょう。

あなたがあなたの人生を選ぶことに何の後ろめたさも感じる必要もありません。

自分の人生を生きるということは楽な道ではないかもしれませんし、自分が選んだことを悔やむこともあるかもしれません。

でも、その後悔もひっくるめてあなたの人生です。

今からでも大丈夫。あなたの人生を始めましょう。

生きづらさを抱えて
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この記事を書いた人
りん

私は幼い頃からずっと【変な子】でした。
社会に出てもずっと浮いています。
その時にできることを精一杯頑張って生きてきたつもりが
新卒の頃は【大学を出ているのに使えない人】でした。
親にも「お前はまともじゃない。」と言われて育ちましたが、精神科の受診を認めてもらえず診断が下りたのは20代後半になってからです。
いわゆる毒親育ちなので支援を得られず、一時は生活保護を受けていましたが今はなんとか障害年金と知人の仕事の手伝いで生活しています。まだまだもがいている日々ですが、今はこのインターネットの世界で居場所を探しています。

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