「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃ損損」わかっちゃいるけど、人間は複雑で面倒で、そう簡単には頭空っぽにも、阿呆にもなれない。だからまずは、インド映画『RRR』の帰り道に、こっそり小さくステップ踏むところから始めたい。
働きづらさを抱えつつ、普段はゆるく会社員をしている、お喋りイラストレーター夜くまのエッセイ連載「繊細とゴキゲンのすきま」、第5回です。
言語も格差も知らねえ、踊れ
恋人が「俺も2回目観るから、一緒にぜひ観てほしい」と熱弁するので、大ヒット記録を更新中の『RRR』を観に行ったら、確かにこれは観てよかったので、簡単な映画の紹介と、それに関連した自分の体験談を書いていく。
数々の興行新記録を打ち立て、全世界に“バーフバリ旋風”を巻き起こしてインド映画の歴史を変えた映画史上最大の叙事詩にして、もはや神話ともいうべき伝説の2部作『バーフバリ伝説誕生』と『バーフバリ 王の凱旋』。その創造神S.S.ラージャマウリ監督による全宇宙待望の最新作がついに完成した。
インド映画史上最高の製作費7200万ドル(約97億円)をかけたその超大作の名は『RRR』。舞台は1920年、英国植民地時代のインド
英国軍にさらわれた幼い少女を救うため、立ち上がるビーム(NTR Jr.)。
大義のため英国政府の警察となるラーマ(ラーム・チャラン)。
熱い思いを胸に秘めた男たちが”運命”に導かれて出会い、唯一無二の親友となる。
しかし、ある事件をきっかけに、それぞれの”宿命”に切り裂かれる2人はやがて究極の選択を迫られることに。彼らが選ぶのは友情か?使命か?
映画公式サイトより
尺は3時間2分だそうで、最初はその数字にびびったけれども、見始めたらあっという間で、飽きる瞬間もなく、ずっとハラハラどきどきワクワク、楽しかった。
監督の「好き!」がつまってて、「俺はこれが表現したいんじゃ」というパッションとかツボが凝縮されてて、気持ちが良かった。
今回は、中でも特にインパクト大、この映画を語るには欠かせないのはダンスシーンだろう。
私の愛するララランドとタイタニックにも、印象的なダンスシーンがあり、それぞれが物語における重要な役割を果たしている。
私はネタバレが好きではないので、ここからは「私とダンス」というテーマで自分語りにシフトしていく。
ぜひとも映画本編を見てほしい。
体を揺らせばダンスだ
身体を音楽に合わせて、揺らす。
これも、ダンスだろうか。
午後の椅子にもたれて、音に耳を傾けて、体を揺らす。
輝く光のフロアで、腰に手を回して、熱っぽい視線を交わしながら、体を揺らす。
ちびっ子が、大好きな歌のお兄さんの真似をしながら、テレビの前で、体を揺らす。
私は、全部、ダンスだと思う。
技巧も、言語も、作法も、知ったこっちゃねえ。
踊る阿呆に、見る阿呆、
同じ阿呆なら、踊らにゃ損損、とはよく言ったもので、
頭を空っぽにして、日常のしがらみ、人間関係、迷い、不安、生きるとは、死ぬとは、今日の晩御飯どうしよう、何もかもを一旦、脇に置いて、
体を揺らせば、それはダンスだと、私は呼びたい。
踊るあなたよ、幸福であれ
星野源の「うちでおどろう」が、コロナ禍の日本でバズったのも記憶にまだ新しく、
あのタイトルは秀逸で、
あえて「家で踊ろう」とは名付けず、
英語表記でも「Dancing On The Inside」としていることで、
さまざまな「家の外で頑張っている人」への、さりげない心遣いもこまやかだ。
みんなで踊る一体感も、1人で踊る贅沢も、どうか誰もがその瞬間は、音に身を委ねて、没頭して、幸福であればいい。
難儀な私たちにはダンスが必要だ
と、書きながら、映画「ブラックスワン」なんかのパターンも頭をよぎったりして、これだから人間は、複雑で、そう簡単には頭空っぽにも、阿呆にもなれないから、困っちゃう。
うまくいかない、しんどい、つらい、明日の仕事行きたくねえ、南の島で暮らしたい
まあ、そんな難儀な毎日を過ごす私たちだから、
まずは、映画RRRの上映3時間は物語の世界に没頭して、
映画館の帰り道に、情熱のダンスシーンの余韻に浸って、
小さく、こっそり楽しく、踊ればいい。