はじめまして。発達障害を持つライターのくまたろうです。
発達障害と聞いて、どのようなイメージを持たれますか?
「コミュニケーションが苦手?」
「他の人と少し違う?」
「何かしらの障がいを持っている?」
発達障害は、生まれ持った個性(特性)で、日常生活に困難をきたしている状態をいいます。
ここでは専門的な難しい話は抜きにして、こんなテーマに沿ってお話したいと思います。
発達障害について一緒に学ぶ
実際に体験したことや感じたことを共有する
第1回目は、「なぜ診察を受けようと思ったのか」「受診までの流れ」「診断を受けてみた感想」をご紹介します。
この記事を通して、何か生きづらさを抱える人に、ちょっとしたヒントをご提供できたらと思います。
自己紹介
本題の前に、簡単に私の自己紹介をさせてください
- 年齢 40代
- 男性
- 発達障害と診断された日 2022年12月
- 特性:物忘れが激しい、集中しすぎる、空気が読めない、失言癖、人の話が聞けない、衝動的に行動する
- 日常での困りごと:人間関係がうまく作れない、仕事でミスが多い、忘れ物が多い、物をなくす、自分で話したことを覚えていない
- 今の仕事 ライティング、ひきこもり支援活動
会社で働いていたときは、周囲の人からこんなふうに言われていました。
「あなたは空気が読めない」
「普通はそんなことしないよ」
ここからは、そんな私がどのようにして診察に至ったかをお話していきます。
なぜ診察を受けようと思ったのか
結論から言うと、「若年性認知症の家族の集い」で、発達障害の検査を勧められたからです。
私は記憶に多くの不安を抱えていました。自分が言ったことを忘れる。人との約束を忘れる。財布や携帯の紛失などは日常でした。当時の私は、自分のことを若年性認知症だと思っていました。
そして、いろんな病院に行きました。街の心療内科から、大学病院。「もの忘れ外来」という専門医まで足を運んだこともあります。
しかし、私の症状はどこへ行っても分からずじまいでした。
そんな私は「若年性認知症の家族の集い」に参加する事になります。そこで経験豊富なご家族のアドバイスから「発達障害では?」と言われたことが診察のきっかけとなります。
診察までの流れ
しかし、なかなか受診に辿りつくことができなかったのです。
理由は3つあります。
- 大人を見てくれる病院が少ない
- 紹介状がないと診てくれない病院が多い
- 小学校の成績表が揃っていないと診てくれない病院がかなり多い
特に3.には苦労しました。
なぜなら、両親は施設暮らしで、実家は空き家状態。成績表を揃えることが困難だったからです。
市役所に相談するも、病院リストを渡されるだけ。1件1件電話をかける事になりますが、ほとんどの病院から断られてしまいました。
しばらく受診は諦めていました。しかし、何か諦めきれず、ダメもとでネット検索し、県の発達障害者支援センターに辿り着きました。相談してみると、いくつか病院を教えていただき、ようやく診察にこぎつけることができました。
診断を受けてどう感じたか
一言で言うなら気持ちが楽になりました。スッキリしたとも言えます。
今まで「いいかげん」「KY」と、私の性格の問題として片付けられていたことに、医学的な説明がついたのです。
自分は人より劣った人間
社会性に欠ける性格
長年感じていたネガティブな自己評価が覆された気持ちでした。
医師の説明を聞くと、脳機能の障害だったことが判明。更には発達障害を持ちながら活躍している人の話を聞きました。歴史的な偉人である坂本龍馬やエジソンも発達障害の可能性があったと聞きます。
私は診察を機に、精神障害者として生きていくことを決意しました。自分にとってはポジティブな選択です。
このまま生きづらさを抱え、それを隠しながら生きていくという選択肢はありませんでした。それをやるとどうなるかは、過去の経験から容易に想像がついたからです。
おそらく、うつ病を発症したり、会社に馴染めず転職を繰り返すのだと思います。
これからは受けられる支援制度はしっかり活用し、自分の強みを活かして楽しく生きていこうと思います。
次回は「発達障害とは」を深掘りしていきます。「私もそうかも⁈」と思う方に、何かのヒントをご提供できたら嬉しいです。
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