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【難病と生きる】神も仏も迷信も

月に向かって手を伸ばす人 生きづらさを抱えて
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絶望的な教え

私は神様や仏様、迷信というものは信じない質である。なぜかは分からないが、何かにすがることのむなしさを悟ったのは、高校生の時に診断された難病のせいかもしれない。

診断された後に入会した患者会の会長さんから、私たち親子はこんなことを言われた。

「あのね。この健康食品を摂取すれば病気が治るよとか、これを買えば病気が治るよとかよくわからないものにのめり込んじゃう人も多いけど、そういうのには気を付けなさいね。医学的にこの病気は治療法は無いから。だまされちゃだめだよ。」

 親切心で、教えてくれた会長さん。

でも私たち親子は、あらためて打ちひしがれたのだった。「ああ、ほんとに治療法なんて、無いんだな。」

 分かってはいたけれど「治療法は無い」の言葉が重かった。進行を遅らせるような薬も無く、ただただ見ているだけしかないということなのか。

 あらゆる情報を集めて、国内最高峰の研究所ともつながりが深い正式な患者会の会長さん。彼が言う事は間違いなく事実なのだった。

 わずかでも、何か希望が無いものかと考えていた新参者の心の内を見透かされていたのかもしれない。

 これまでに、藁をもすがる思いで色んなものに費用をつぎ込んでしまった他の患者さん達を見てこられたのかもしれない。

 でも、ありがたいことだった。そういうふうにはっきりと言ってくれる人は、なかなかいない。

 

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ゆるい距離感

神社で参拝する女性

そして私と母は、神様も仏様も迷信も信じないようになった。いや、会長さんの言葉が影響したのか、元々の性格なのかは本当のところはわからないが。

 とはいえ、自宅には祖父母の代からの古い仏壇があるし、お葬式や法要となると、お寺のお坊さんに来ていただいたりするから、日本人によくありがちな、曖昧な関わり方をしている。

 それからというもの、私たち親子の現実主義は、おそらく一般的な人からすると相当ひどいのかもしれない。

テレビで「ここの神社では、牛の置物を撫でてから自分の体も撫でると、その悪いところが治るとの言い伝えが…」との映像を観て「んなことで治るわけないやん」。

 「お寺では大きなお鍋で大根を炊いて参拝者にふるまわれました。これを食べれば一年間病気をしないとの…」ニュースを観て「んなわけないやん」。

そんなことばかりを呟いているのだった。

だけど神社に行くことがあれば、一応、本殿に向かって手を合わせたりは何となくしてみたり、自分でもよくわからないのが面白い。

 

偽・繊細さん

会話する2人の女性

ただ、残念な事に私の外見が「断る事が出来なさそうな、か弱き女の子」だったために10代~20代の頃は、街を歩いていると(この時は普通に歩いていた)いろんなものから勧誘された。

「お姉さん、お肌とか気にならな~い?」エステの勧誘。無視。

「運勢とか気になりません?」占いなのか、いや、これが宗教につながるんじゃないのか。はい、無視。

「ポケットティッシュどうぞ~」もらう。

 極めつけは、元職場の同僚が「お寺って興味ある?」

私「神社仏閣巡り?まあ、興味無いことはないけど、最近は行けてないねー。ほら、私、車椅子だからお寺とか古いところは物理的に大変でね。」

 元同僚「あ、じゃあ、完全バリアフリーでお参りできるお寺があるから一緒に行かない?」

で、連れていかれたのは、観光でよく行くような神社仏閣とは全然違う普通の会館のような建物で、新興宗教だった。

○○真理教とか、そういう怖いジャンルではなく、穏やかな参拝風景が広がっていた(私からすると、ツッコみたくなる点は多々あったが)。

 元同僚の事は性格的にも割と気が合うほうだったので、会っておしゃべりするだけで楽しかったのだが、「私、子供の事ですごく悩んでいた時、ここで話を聞いてもらって心が救われたの。だから、○○さんも、ほら、色々大変なことあるでしょ?苦しんでるよね。それで、ここならきっと心が楽になるよ」と言われたとき、「あ、無理。」と思った。

 私がいつ、何かに救われたいと言った?毎日が大変だからどうだとか、あなたに言った?言ってないよね、なにも。(私は他人にあまり弱音を吐かない)

 私の外見だけ見て、車椅子ユーザーだから、障害者だから精神的に苦しんで困っている。と勝手に思われたことがイヤだった。

 しかもそれを私は宗教に求めようともしていないし、何も言わずにここに連れてきたということに対して私は彼女に失望した。勧めたいのなら事前にそう言うべきだし、だますように連れてくるのは違うよね。

 元同僚も、良かれと思ってのことだったのかもしれないが、「一緒に拝もう」と言って数珠を持たせてきたり、「もっと大きなお寺が隣の市にあるから行かない?」とか言ってきたので、無理に入信させたいのだなと思って断った。

 直接、明確に非難する言葉を発するのはやめたが、それからは彼女とは距離を置いた。

※ 誤解が無いように言っておきますが、自己責任で(かつ信仰によって他人に迷惑をかけずに)、安寧に宗教などを心の拠り所としている人を非難するつもりは毛頭ありませんので、念のため。事実、私の友人にはそういう人、います。宗教で心が救われた、という。人それぞれですのでその人の信仰を尊重していますし、友人も私に無理にその宗教を勧める事はしません。それが本当の友人です。

 

 何にすがるかは自由だけど

難病、身体障害者、車椅子ユーザーだから、心につけ込みやすいと思われたのかな。哀れな人と思われていたのかな。

 そうじゃないんだよ。

 不便は多くて大変だけど、不幸じゃないんだよ。

常に考えなきゃいけないこと多すぎてうんざりする時もあるけど、それも人生だと思って受け入れて生きているんだよ。

 あの時から約5年ほどたったころ、元同僚がお客さんに宗教の勧誘をして懲戒処分になった、と知人から聞いた。

 あの時の私は、はっきりと彼女に苦言を呈するべきだったのかもしれない。彼女がどうか平穏に暮らしていることだけを願っている。

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