日常で感じる生きづらさ
ひきこもりを経験し、発達障害を抱えるライター「くまたろう」です。先日、駅で乗客が駅員に怒鳴りつける様子を見て「生きづらさ」を考えました。乗客の怒りの理由は「悪天候による列車の遅れ」でした。
現代社会では、個人の最適化や満足追求が強調されすぎることで、社会全体が狭苦しく感じられることがあります。例えば、宅配サービスが翌日に到着しなければ不満足となるニーズに、疑問を感じる人も少なくありません。遅延が数時間あっただけで激しい怒りをぶつける必要性にも、疑問がわくことでしょう。
私は以前、サービス業で働いていました。その中で、過剰な要求や不寛容さが多かったため、多くの従業員が休職や退職に追い込まれていく様を目の当たりにしてきました。そして、私自身もその中でストレスを感じ、退職に追い込まれた1人です。
本記事では、社会全体で共有している思考が、生きる上での困難を生み出している例をご紹介します。自己の欲求にとらわれすぎず、周りの人々の幸せを考え、より良い方向へ導くことが重要であることに気づいていただければ嬉しく思います。
具体例
ここからは、私が実際に見て感じたことを書いています。きっと読者の皆さんも経験したことがあるかと思います。読む上で意識して欲しいことがあります。それは「自身が感じている生きづらさの源」という視点だけではなく、「無意識に他者に与えている生きづらさ」という視点です。
遅れやミスへの過剰反応
サービスを利用すると、時に遅れやミスが生じることがあります。それに対して、過剰に反応して自分や周りの人にストレスを与えてしまうことがあります。
例えば、飛行機が数十分遅れただけで、乗務員に怒号を浴びせるなどがあります。また、10分程度の遅延で航空会社は謝罪のアナウンスを本当にしないといけないのでしょうか。冷静に考えると、飛行機が飛ぶこと自体が、あらゆる偉業の中でも特筆すべきものであることを忘れてはいけません。
社会全体が、過剰な要求や反応をしないことで、自分自身や周りの人たちのストレスを減らし、より良い社会を作っていける気がします。
過剰なサービスの要求
安価な商品に対して高級なサービスを要求する光景を目にすることがあります。
例えば、ファーストフード店での注文でも、価格以上のサービスを求めることがあります。1流のレストランのようなサービスを期待し、その期待が満たされない場合は返金を要求するなどがその例です。このような過剰な要求は、サービス業界で働く人々に深刻な精神的ストレスを与えることがあります。
また、公務員に対しても、自分たちの税金で働いているという理由で過剰な要求をすることがあります。これは公務員も人間であることを忘れた行動であり、社会全体にとって不健全な状況を生み出す原因となります。
私たちは、自分たちの欲求に囚われすぎることなく、周りの人々に対しても思いやりを持って接することが大切です。そうすることで、より健全な社会を築くことができます。
「お金をもらっているのだから」という呪縛
ときに、社会全体はお金を得るために何でもやらなければならないという風潮にとらわれてしまうことがあります。お金をもらっているから、どんなに苦痛でも受け入れなければならないと思ってしまうことがあります。
例えば、仕事の研修などで「お客様からお金をいただいているから」という理由で多くのことが許容される傾向があります。確かにサービス業に従事する者は顧客視点を忘れてはいけません。しかし、顧客の主張が常に正しいとは限らないという冷静な視点も忘れてはいけません。
「お金を払ったものが偉い・正義」という考え方はリスクを伴います。なぜなら、そのような言動が人間性を失わせる可能性があるからです。
ゼロリスク思考
近年、失敗を許さない社会が広がっています。その結果、失敗してはいけないという風潮が生まれ、迷惑をかけてはいけないという考え方が浸透しています。
そのため、本来は失敗から学ぶことが基本的な学習の一つであるにもかかわらず、それを奪ってしまうことが危惧されています。この風潮が、1度の失敗で折れてしまう人や、不登校や引きこもりにつながってしまう人を増やしているようにも見えます。
また、企業や個人の失敗をメディアやSNSで叩く風潮にも危惧を感じます。現代はインターネットを通じて、個人が個人を裁くことが可能な時代となりました。
人間は過ちを犯す生き物です。中には避けられない悲劇もありますが、リスクが低い失敗については、失敗そのものにフォーカスするのではなく、失敗から再チャレンジできるような雰囲気を社会全体で醸成していくことが必要だと感じます。
まとめ
本記事では、社会全体に共有される思考が生み出す「生きづらさ」について考えてきました。過剰な反応や要求、自己評価の低さ、お金をもらっているからという呪縛、そして「ゼロリスク思考」についても触れました。社会全体が、自分自身の欲求に執着するあまり、周りの人たちに迷惑をかけることがあることを忘れずに、今後の生活に活かしていきましょう。
具体的には、「少し目をつぶれることであれば過剰に反応しない」ということが挙げられます。これは我慢とは異なると考えます。私はひきこもりを経験したことで、他人に対して少し寛容になれた気がします。自分自身が他人から受けた理解や思いやりを通じて、同じように他人に対しても返すことができるようになったのです。
社会全体が生み出す生きづらさについて考えることは、他人への思いやりや、より豊かな人間関係の構築にも繋がると思います。自分自身の思考を見直し、より良い方向へと導くことができるよう、日々心掛けていくことが大切です。