進行性の筋疾患という難病を告知されたあと、身体的にも少し症状が出ていた為、障害者手帳を取得した。大学生になった私は学校や友人など周囲には、病気や障害者手帳のことをオープンにはしていなかった。どう説明していいか分からなかったし、なぜか暗くタブー視して隠さなければいけないと思い込んでいた。
だけど高校生の時とは違い、大学3年生になると日常の色々な場面で、徐々に自分の身体の変化を感じるようになってくる。高校生の時には確かに走れていたのに、走る事ができなくなっていた。
進行性の筋疾患なので、症状が進行する事は聞いていたがどのくらいのスピードで進行するかは不明だった。お医者さんですら「分かりません」と言っていた。こうやって知らないうちに自分の思うように動かなくなっていくのかと思うと、どうしていいのか分からなかった。
とりあえず周囲の友人たちと同じように、就職活動の一般的なスケジュールに沿って情報収集を始めてみるも、今と違いインターネットは一般家庭には普及していなかった時代。メールもスマホももちろんありません。無料で配布されている分厚い就職情報誌が頼りです。
私が新卒の就職活動をしたのはインターネットが普及していなかった時代のため、現在とは異なる状況が多くあまり参考にならないかもしれませんが、あしからず。就職活動における心境などはいつの時代も同じですので、そこらをお伝えできればなぁと思います。
将来、歩けなくなるであろう私が出来る仕事って何だろうと考えながら「やはり事務職か?」くらいしか思い浮かばなかった。世間知らずで情報も少ない若者が考え付くことなどそう多くはない。
冊子に掲載されている多くの求人に目を通してみたが、車椅子になった時にはたしてその会社、その仕事で働き続けることができるのだろうか?それは求人情報誌からは当然読み取ることはできなかった。そんな情報はどこにも書いていなかった。
じゃあ障害のある人は、どこで働いているのだろう。
どこに就職していくのだろう。
もしかして就職なんて出来ない?
そう思うと、絶望の淵に立たされたような思いだった。そして密かに私のことを心配しているであろう両親にはこんなことは絶対に言えなかった。気を遣って私にはあれこれ聞いてこようとしない両親。悲しい思いはさせたくなかった。
ある日、大学の就職課の前をいつものように歩いていたところ、持ち帰り自由の資料コーナーの片隅に、ぽつんと置いてある冊子に目が留まった。
障害者雇用専門の求人を扱った就職情報誌だった。「障害者雇用」の文字に目が引き付けられ、そっと近づいてみる。
「へえ。こんなのがあるんだ。」カバンにそっと入れて自宅に持ち帰り、自分の部屋で一人、ページを開いてみた。
少し期待をしていた。
ドキドキしていた。障害者の私でも就職できるかもしれない。
聞いた事のある大手企業などが求人を出していた。一般事務職が多かった。しかし何か、違和感がある。
なんだろう。
障害者向けではない「普通の」学生向け就職情報誌とは明らかに異なる待遇。どれも同じ顔をして並んでいる。賃金は驚くほど安く設定され、どの企業も身分は「契約社員(一年毎の更新)」。
「え、なんで?」
「普通の」学生向け求人では、同じ会社から同じ職種で「正社員」で出されている。私も大学の新卒求人は正社員が一般的だと思い込んでいた。これからずっと働いていくには正社員が当然だ、と思いこんでいた。
で、障害者ということだけで、いきなり正社員の道が無くなるってこと?とても悲しかった。別に高い賃金が欲しかったわけではない。しかし「障害者はその程度」だと言われたような気がして、ただ悲しかった。障害の有無に関わらず、同じ人間として評価してほしかった。同級生と比べて自分は能力的に非常に劣っていると思ったことは無く、同じような能力を持っていると考えていた。
でも障害があるというだけでスタートラインは一歩下がったところに、いえ、全く別ルートに設定され、厄介者扱いされているんだと思った。
自分は「障害者」なのだろうか。まだ「健常者」だと名乗ってもいいのだろうか。健常者として就職活動するほうが就職先があるような気がして、この就職情報誌を閉じた。親には、この情報誌を見せたくなくて、いや、見せられなかった。
だから机の奥深くに封印したのだった。大学4年生の春だった。
そして令和の今、あの頃よりも随分状況は変わってきているなぁとは感じている。障害があっても応募できる正社員求人があったり、待遇面も同じに設定されていたり。しかし、いったいどれくらいの企業が、障害を持つ人に対して理解し寄り添おうとしてくれているのか、それは表面的には見えてこなかったりする。まだまだ厄介者扱いしているんだろうなと思わせるような、色々な事も知人から聞いたりもする。
だけど、これまでの先人が築いてきた数多くの苦労と絶望とそのあとの奮闘が、この日本で、ようやく実を結びつつあるのかなと最近は思い始めている。まだまだ黎明期だとは思うけれど、少しずつ変わってきていると、そう思いたい。