山の国信州
「科濃」
長野県は古来より「信濃」とも呼ばれています。樹皮が強くロープの素材として使われてきた「シナノキ=科の木」が多く産出されるところから「科野=信濃」と呼ばれる事となった。というのが語源とされています。長野県は日本書紀の時代より、「よほどの山の中」と認識されていたという事でしょう。
科野の国
その「科野の国」ですが、山中とはいえ日本海と中京、関東方面を繋ぐ物流ルートでもありました。特に「東山道」と呼ばれる北信地方、東信地方を縦断する街道は日本書紀や延喜式にも記載されているほど古くに開鑿された道でした。
山国ならではの
日本海と日本の内陸部を接続することで発展した信濃の国ですが(木曾義仲の出陣、武田信玄・上杉謙信の川中島の戦いはここを制圧するために起きたという側面があります)、山中であるがゆえの悩みを抱えています。一丁事が起きるとすべてが止まってしまいます。
孤立の里
災害で山あいの村が孤立してしまった。というニュースを聞くことがありますが、長野県などはその最たる存在といえましょう。木曽街道 梯宿の土砂崩れは数年前までは風物詩といってもよいくらい頻発していましたし、3年前の台風被害で信州新町で起きた道路崩落は現在でも補修工事が終わっていません。現代ですらそんな状態ですから、先人たちの労苦は並大抵のものではなかったでしょう。したがって、信濃の民にとって新しい街道あるいは物流ルートの確保は「渇望」といってよいほどの事業でした。
準酷道
私の住んでいる北信 長野市と、スキーの聖地と呼ばれる白馬村とは直線距離にして(基準点にもよりますが)30〜40kmと、かなり近い場所にありますが間には日本アルプス 戸隠山塊が立ちはだかり、古来より街道はあるものの、交通ははなはだ困難を伴うものがありました。現在では自動車が通行できるように整備はされていますが、酷道とまでは言わないものの、山路運転ファンの方には楽しんでいただける道路であると思います。