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エレベーターに乗れない車椅子ユーザー問題

車椅子とエレベーター 生きづらさを抱えて
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エレベーターに乗せてほしいと呟いたら炎上したTwitter

先日、車椅子ユーザーのかたが、駅のエレベーターに乗ろうとしても、健常者と思われる人たちが走ってエレベーターに我先に乗り込み、いつまで経っても自分が乗れなくて辛いという状況をTwitterで発信されました。

その時だけじゃなくて、いつも、他の場所でもよくある事なので「エレベーターしか手段が無い車椅子ユーザーに配慮してほしい」と訴えたのです。

すると擁護する声もある一方で、「なぜ譲らなきゃいけないんだ」「傲慢だ」「譲ってくださいと自分からも言うべき」「障害者が何でも優先と思うな」など批判する意見も多く書き込まれました。

その発信者のかたは、「自分も発信の仕方が乱暴なところはあったかもしれないのでそこは謝ります」と謝罪されましたが、私から見ると、それほど乱暴なことはされていません。

動画を撮って投稿なさっていたので、そこに映りこんだ人に対しての謝罪でもありましたが、そこの是非はちょっとまた別の問題ですので、いったん脇に置いといて。

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社会的弱者が声をあげるとなぜ叩かれるのか

最近、こうやって社会的弱者が声を上げると叩かれることが増えてきたように思います。SNSで誰でも匿名で書き込みやすくなったために起こる現象です。

あまりにも非常識な方法で訴えるのは、私も良くないと思う派ですが、この発信者の方はそれほど非常識なことまでされていません。

少しは車椅子ユーザーに配慮してほしいということがそんなにわがままなのでしょうか。

何でも優先しろと言っているわけではありません。

エレベーターしか手段が無い人と、他の手段も取る事が出来る人。

車椅子ユーザーがなかなかエレベーターに乗れなくて困っている。そういった状況の時に、見て見ぬフリをする理由がわからないです。

声をあげないと誰にも気づいてもらえない。だから声をあげる。

すると叩かれる。

叩くのではなくどうすれば共存しやすい社会になるか皆で考えようという方向に行くべきなのに、単なる批判で終わらせようとされちゃうと、いつまでも発展しないままの残念な世の中になっちゃいます。

私の場合

私も車椅子ユーザーですから、この発信者の方には本当に深く共感したのです。

狭いエレベーターですとすぐ満員になってしまい、乗れないことは日常茶飯事です。

一回だけ見送れば次に乗れるというのなら良いのですが、デパートなど何階もある建物や激混みの所でよくある事ですが、途中の階から乗ろうとすると既に人がいっぱいで乗せてもらえない、誰かが降りて譲るでもしないと30分以上乗れないこともありました。

「車椅子やベビーカー、お年寄りなど優先エレベーター」と書いてあるのに、です。

エレベーター以外に階段、エスカレーターの別の手段がある建物なのに、です。

でも自分から他の人達に、言う事は出来ませんでした。

「私の為に、誰か降りてください」とは。いいづらいです。「私のために」は。ほんと。

自分じゃない誰か困っている人の為に「すみません。このかたが乗れなくて困っているので誰か降りて頂くことはできますか」は、言う事は簡単にできるのだけど、「私のために」は、言いづらいな~。

「自分のために」を言える日本人って、少ないような気がします。どうしても遠慮しちゃうのですね、自分が、自分が、を主張することに慣れていないから。

公共の場所にエレベーターが設置された経緯

公共の場所にほとんどエレベーターが無かった時代、障害者の人々が言葉通り体を張って世の中に訴えたおかげで今の便利な社会があります。それを知らない世代も多くなりましたよね。

私が子供の頃は、エレベーターが大きな駅に設置されだした時代。昔は健常者並みに歩いていたし、私はエレベーターが設置されても乗る事はほとんどしなかった。

それまでは階段が当たり前だったのもあって、エレベーターが設置されてもそれに乗るのは「特別なこと」つまり「車椅子ユーザーや歩きづらい人が乗るもの」との意識があった。

スタスタと歩いているのにエレベーターに乗るのは恥ずかしいというのもあったのかもしれない。そういう時代でした。

それが、生まれた時からエレベーターがある人にとっては、それは「ただ便利なもの」でしかない。

いえ、使ってもいいのですよ、誰でも使ってもいいのですが設置されたそもそもの理由を考えると、ある状況の時に配慮しあう必要はあるんじゃないか、と。

心の余裕がないのか、日本

日本は戦争や内戦も無く平和ですが、他者に無関心というか、あまり関わらずに事をやり過ごそうという傾向がありますよね。

日本でも親切な人は多いと思うのですよ。

これは私の勝手な意見ですが、

10割のうち、悪意を持った人はたぶん1割くらいしかいなくて、積極的に親切な人も同じく1割くらい。残り4割は「様子見の人達」で、何か助けを求められれば喜んで応じるけど自ら積極的には動かない。最後の4割は無関心層で、出来るだけ関わりたくないとか。

外国人さんは(地域によりますので一概には言えません。私の勝手な意見です)積極的に親切な人が4割くらいいるイメージです。

日本において街中で外国人さんに接したときの状況で、それをひしひしと感じます。

大きなターミナル駅で、地下鉄から降りて上の階に上がろうとしたらいつものようにエレベーター前は長蛇の列。

ベビーカーを押す人たち、大きなスーツケースを持った外国人観光客さんたち、たぶん障害が無さそうな普通に歩いている人達(障害があったらごめんなさいね)。

まあ順番だしな。自分の番が来ても車椅子が乗るためのスペースが無ければまた見送るからこれは4回くらい待たねばな、とか考えて待っていたら。

前の方に居た外国人観光客さん達が、エレベーターが来たら私の方を振り向いて「先に乗りなよ」とのジェスチャー。

「え!わ、私に言ってる?でも、そんなの悪いし、いいですよ。あなたが先なんだし、どうぞ乗ってよ」とジェスチャーで返しましたが、なおも「いや、あなたが乗るべきでしょ!」のジェスチャー。

ジェスチャー合戦。

普段、そんなことはまず無いので、私も順番譲ってもらうつもりは毛頭なかっただけに心底驚いて、どうしていいか分からない。譲られ慣れていない。

そうすると日本人の健常者らしき人達も、自分たちが我先に乗り込むわけにもいかず、おとなしく待っているのですね。

私が拒否し続けるといつまでも膠着状態なので、そこは素直に「あああ、ありがとうございます。サンキュー」とか不器用な英語まで言って乗らせていただきました。

いつでもあのように譲ってほしいと言っているわけではなく、車椅子ユーザーに対してだけでなくて自分より大変な状況にある人に配慮できる心の余裕を持てるようになろうよ、みんな。

ということを言いたいです。

エレベーター問題だけじゃなくて、世の中のあらゆることに対して冷静に考えて、皆が共存していきやすい社会にしたいですね。

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