終戦後80周年を迎えた2025年。特に日本国内ではもっとも大きな戦争の傷跡として知られる広島、長崎の原爆投下に注目が集まり、その結果の悲惨さと戦争の愚かさ、そして平和の尊さが語り継がれています。
また戦争と深くかかわる地としては、沖縄という地は1945年に日本軍とアメリカ軍を中心とする連合国軍の間で行われた地上戦「沖縄戦」が行われた場所でもあり、同様に大きな傷跡を残した場所であります。
一方、沖縄という名を聞くと、私はロックバンドROACHの「LINE-小さな島の国境線-」を思い出し、そのたびに曲に込められた切実なメッセージから胸を締め付けられるような思いをしたことを回想するのでした。
「LINE-小さな島の国境線-」とは
沖縄県で結成されたロックバンドROACHの代表的なナンバーの一曲で、彼らが2012年に発表した3rdミニアルバム『OKINAMERIKA』のオープニングナンバーであります。
米軍基地に囲まれて育ったROACHが「誇れる島」でかつ「矛盾にあふれる島」である故郷・沖縄に誠実に向き合いながら、胸に抱く切実な思いを描いています。
バンドは2022年で活動を休止していますが、この曲は消えることのないインパクトを今なお残しています。
沖縄という地が持つ宿命を背負いながら、自身の思いを貫く
日本での戦争というと、一つには日本の歴史の中でも非常に大きな傷跡である「沖縄戦」。
しかし、悲劇という意味で沖縄が受けた傷みは終戦とともに止まったわけではなく、ある意味1972年の領土返還まで「日本と認められない」という耐え難い状況の中におかれていた中でもその傷口を広げていったわけです。
日本の本土を訪れる際にはパスポートが必要、領土返還までは車が左ハンドル、右側通行と日本とは全く逆。そんなことがいまでは場合によって「懐かしい話」のように語られることもあります。
しかし、そんなエピソードの一つ一つも深掘りすれば、それはまさしく傷口の数々。さらに「美しい場所」の観光地として注目を集める一方で、沖縄にいつまでも残るアメリカ軍の基地をはじめさまざまな問題を抱えた地でもあり、歴史的なしがらみから生まれた複雑な事情は、いつまでもついて回っている状況にあるわけです。
ROACHは戦争を知らず、またその沖縄の不遇の時代を知らずに育ってきた面々で結成されたバンド。美しい自身の故郷の美しさを誇りながら、一方でその複雑な歴史、事情を大人たちから聞かされ、自身が沖縄県民であることを認識しつつそれを受け入れ愛してきました。曲のコーラス冒頭にはこんなフレーズがあります。
矛盾にあふれる島だけど 憎むのは人でない
大地をどれだけ区切ろうと 心は区切れない
現代の若者の象徴的な姿の一つとも見える彼らが、悲しき歴史や運命を理解しながらも、自身の思いを貫いて強く生きる姿が目に浮かんでくるようでもあります。
「未来をどう生きるか」悩める人を導く叫び
私も広島という場所で生まれ育ち、幼いころから原爆投下という悲しい歴史を伝えられながら成長を遂げてきました。
いま広島では、同じように戦争を知らないながら広島に生まれたことでその運命を背負わされている人たちが生きており、若者たちの多くは「自分たちは未来に向けて、どのように行動を起こしていけばいいのだろう」と心になにか引っかかるものを抱えています。
沖縄と広島、それぞれ全く異なる文化や境遇をたどった場所でありながら、過去の経緯を引きずっていまという時代に生きる人が悩むその姿はどこか共通するものがあるのでしょうか。そんなわけで、私にはこの歌が私には強く響いてきました。なにか明確な答えが出るわけではないけど、自分の意識として「こうありたい」と願うような……
また近年、世界のあちこちで分断が起こっている中に見えてくる人々の表情が、どこかこの歌のメッセージが重なってくるようにも思います。国という単位の争いとは全く別の場所にあるつながり、関係が侵されていることが報じられるたびに、この歌の最後に歌われるフレーズが思い出されます。
そして本当に胸が苦しくなるようになるとともに「争いは取り除かれ、皆が悲しみを乗り越えて生きていける時がくるように」と祈らずにはいられなくなります。
「目の前のあなたさえ 愛せない世の中なら
文化や思想なんて 壊れてしまえばいい」