不当な投獄の恨みを晴らすため、わずかな手がかりを頼りに元看守らしき男を拉致した主人公の姿を描くサスペンススリラー映画『シンプル・アクシデント/偶然』。
反体制的な活動を理由にイラン政府から映画制作を禁じられながらも活動を続けるジャファル・パナヒ監督が手がけたこの作品。物語は自身が二度にわたって投獄された経験と、同房で出会った人々のリアルな声から着想を得て手がけたといわれています。
監督は『熊は、いない』でベネチア国際映画祭金獅子賞、『人生タクシー』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞と数々の作品で世界的に高い評価を得ており、本作でカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したことで「3大映画祭」すべてにおいて最高賞を受賞する快挙を成し遂げました。
スリリングに展開しながらも、どこかユーモラスに感じる節もあるこの物語。奇妙な筋に見えながらも、その独特な雰囲気はどこか「人間の物語」の本質を捉えているようで生々しく、舞台背景とは異なる国の人々にも広く響く作品となっています。
映画『シンプル・アクシデント/偶然』とは
作品概要

(C)LesFilmsPelleas
かつて不当に刑務所に投獄された人々がある日その張本人と偶然再会、同じように不遇の目にあった人々とともに復讐を試みる姿を描いたサスペンス。
作品を手がけたのは、イラン出身で数々の名作を手がけたジャファル・パナヒ監督。フランスとの共同製作作品であり、2025年に行われた第78回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しました。また第98回アカデミー賞の国際長編映画賞にもフランス代表作品としてエントリーし、ノミネートを果たしています。
製作年:2025年(フランス・イラン・ルクセンブルク合作映画)
原題:Un simple accident
監督・製作・脚本:ジャファル・パナヒ
出演:ワヒド・モバシェリ、マルヤム・アフシャリ、エブラヒム・アジジ、ハディス・パクバテン、マジッド・パナヒ、モハマッド・アリ・エリヤスメール、ジョルジェス・ハシェムザデー、デルマズ・ナジャフィ、アフサネ・ナジュムアバディほか
配給:セテラ・インターナショナル
あらすじ

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かつて不当な理由で投獄されたワヒドは、自分の経営する車の修理工場で、かつて彼を拷問した看守と思われる男と偶然出会います。
衝動に駆られ強引に男を誘拐、目隠しをしたまま荒野に穴を掘って男を埋めようとするワヒドですが、男の身元を調べると、復讐相手と名前が違っており、男も人違いだと主張します。
投獄中は目隠しをされて男の顔を見たことがなかったワヒドは、男が本当に復讐の相手なのか確信が持てなくなり、同じ男に拷問された友人に助けを乞うことにしますが……。
「争い」が身近にある運命にある地に住む人々の真実を伝える物語

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本作は唐突な再会から始まる復讐劇でありながら、その過程で「正しさ」とは何かを問い直してくる作品。
物語は、かつて自身の人生を狂わせた元凶と思しき男と偶然出会うところから動き出します。しかしその男が本当に復讐すべき相手なのかという確証はないまま、主人公は誘拐という極端な行動に踏み切ります。観ている側としては「裏を取るべきではないか」と思わずにはいられませんが、同時に、そこまで無謀にならざるを得なかった背景にも説得力が宿っています。
誘拐の過程で、男に恨みを抱く人々が一人、また一人と集められていきます。彼らの思いは一様ではなく、それぞれに異なる事情や感情を抱えていますが、共通しているのは「この男を許せない」という強烈な憎しみです。
その感情が、現在の生活や立場を顧みる余裕すら奪い、危険な行動へと駆り立てていることが伝わってきます。むしろ、ここまで人を突き動かすほどの出来事が過去にあったことを想像させ、その残酷さを間接的に浮かび上がらせます。

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一方で本作が印象的なのは、こうした極端な行動を「遠い世界の出来事」として片付けさせない点にあります。日本に生きる私たちにとっては現実味の薄い出来事であっても、地球の裏側では、同様の状況が決して珍しくない可能性があるという事実を突きつけてきます。
特に中東地域で続く戦争を思い起こすと、その「身近さ」はより生々しく感じられます。戦争は多くの場合において個人の意思とは無関係に発生し、理不尽な形で人々の人生を大きく変えてしまいます。
そしてその中で、「戦わなければならない」「復讐しなければならない」という価値観が容赦なく個人に植え付けられていくのです。

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クライマックスで追い詰められた男が見せるのは、「冷徹な加害者」の顔ではなく「自らの罪を認め慈悲を乞う一人の人間」の姿です。その声には確かな正直さがあり、彼もまた戦争や暴力の連鎖に巻き込まれた存在であることがにじみ出ます。
そして復讐を果たそうとしていた側の人物も、その声に触れた瞬間に手を止めます。そこにはどれほど過酷な状況にあってもなお、失われていない「人間性」が確かに存在していることを感じさせます。
戦争や争いは、それぞれの立場における「こうあるべき」という価値観の衝突によって生まれ、遠く離れた場所からその様子を見聞きすると、つい単純な善悪や結論を求めてしまいがちです。
しかし本作は、その背後にある複雑な事情や、個々人の痛みを丁寧に浮かび上がらせることで、そうした単純化を拒みます。そして報じられる出来事の向こう側にある現実を想像し、戦争や争いというものをどのように受け止めるべきかを、改めて考えさせるものとなっています。

