2023年・第76回カンヌ国際映画祭の監督週間に選出、同年のカンヌ国際映画祭では唯一のロシア映画として上映された映画『グレース』が全国順次公開されています。
辺境の地で旅を続ける父と娘。先も希望も見えない彼らの日常が、薄暗いトーンの中で淡々と描かれていくこの作品。
この作品で描かれた世界は、2021年より本格化したウクライナ軍事侵攻よりある意味世界から閉ざされた、ロシアという国の心底から発せられたメッセージであるようにも見える、そんな現代世界に吹き荒れる嵐の過酷さを感じさせる物語であります。
映画『グレース』とは
作品概要
東欧の民話をモチーフとして、どんよりした停滞感が漂うロシア辺境の国で移動映画館を営み旅を続ける父親とその娘の日常を描いたドラマ。
ドキュメンタリーを主に手掛けてきたロシア・ウドムルト共和国出身のイリヤ・ポボロツキーによる長編ドラマ初挑戦作品。2021年秋のロシアによるウクライナ軍事侵攻が本格化する直前に撮影がおこなわれました。
公開年:2023年(ロシア映画)
原題:Grace
監督・製作・脚本・編集:イリヤ・ポボロツキー
出演:マリア・ルキャノバ、ジェラ・チタバ、エルダル・サフィカノフ、クセニャ・クテポワほか
配給:TWENTY FIRST CITY
あらすじ
ロシア南西部の辺境コーカサス。乾いた風が吹きつける険しい山道を、錆びた赤いキャンピングカーが走り抜けていきます。
車に乗っているのは、無愛想な目をした16歳の少女とその父親。二人はキャンピングカーを利用した移動映画館で生計を立て、あてもない旅を続けており、娘の母親がいないことが親子の関係をギクシャクしたものとして、車内には常に重苦しい沈黙が漂っていました。
さまざまな街をめぐり、人と出会いながら、やがて二人は世界の果てのような荒廃した海辺の町にたどり着きます。そして娘は……
広く世界に伝えられる、絶望と希望の光景
果てしなく広がる荒野で、15年もの間に赤いバンで移動し移動映画館を営む父親と娘。
本作で描かれる、その長い旅の様子は、この日本から見ると想像もできないものであり、ポジティブでもネガティブでもある、両方の側面において世界の広さを改めて感じさせるものであります。
心の中では外に出たい、この運命から逃れたいと望みながらも、いざ外から外への誘いを受けると「外に出たくない」と言ってしまう父。そんな父のそばに居続ける娘は、どこか宿命のようなものを背負い離れられない状況にあるようでもあります。
そんな最底辺の生活に追いやられた旅のはずなのに、彼らを追いかけて「連れて行ってくれ」と懇願する若者もいる。物語は一つの閉じた世界の中で、そこから逃避したいともがく人たちの辛辣な思いが淡々と描かれ続けていきます。
物語の舞台となっているのは、コーカサスという地域。ここは黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる地域からなる場所であり、北コーカサスはロシア連邦領の北カフカース連邦管区および南部連邦管区に属する諸共和国、南コーカサスは旧ソ連から独立した3共和国で構成されています。その意味ではロシアという大国に非常に密接した場所であり、その薄汚れた雰囲気には地域のさまざまな様相が見えてきます。
この撮影がおこなわれたのは、東欧ジョージアに隣接するカパルダ・バルカル共和国。人の存在を消してみると雄大にも感じられる風景が感じられるものでありますが、荒涼としたその光景はどこか閉塞感すら感じられます。あてもなく続く親子の逃れられない旅路における絶望感は、そんな土地の光景からも非常に強い印象が見えてくるものであります。
しかし何の希望も見えない生活を淡々と続ける二人の親子の姿に唯一見える希望、それはまさに「映画」という存在が示しているようにも見えてきます。
物語に表される映画は直接的にこの親子の希望となっているわけではないものの、閉ざされた世界の中で親子とともに旅を続けこの地に住む人々にかすかな楽しみを与え続けていること自体がポイントとなっているわけです。
その意味では映画自体を、絶望的な生活の中に見えるかすかな光のような象徴として物語を構成しているようでもあり、薄暗く絶望的な雰囲気の中でほのかな温かさを帯びた空気を漂わせています。
複雑な世界情勢がはびこる中、この映画が唯一ロシアから発せられた作品であるということは大きな意味を持っていることであり、今という時代において見る人にさまざまな影響を与えるものであるといえるでしょう。
映画『グレース』は2024年10月19日(土)より東京・シアターイメージフォーラムほか全国順次上映