はじめに
長野県のイメージ
長野県という地はよほど雪深い街、吉幾三の名曲そのまんまの、冬はよほど大変な想いをせざるをえない県なのだ。左様に思い込まれている方がたくさんいらっしゃると思います。かくいう私自身が、「とんでもない雪国」と長野に移住する直前まで思い込んでいたのですから。
雪国 信州
現在80歳オーバーのお年寄りに訊ねると、「たしかに昔は寒かった。雪も多かった」という答えが返ってくることが多いのです。学校に行くのにかんじきを履いて行った、雪の中で遊んでいると紫外線にやられて目が一時的にみえなくなる「雪目」になったなどの証言にはしょっちゅう出会します。
昔は寒かった
現在の冬場も寒いといえば寒いのですが、一面銀世界になることなど数年に一度くらい、よほど積もっても30センチくらいではないでしょうか。それなのになぜ?と思って調べてみたら、本当に昔は寒かったのです。
プチ氷河期
江戸時代中期から昭和の20年代くらいまでのおよそ100年ちょっとの間は、長野県だけでなく世界的に冷えた時期であったとのよし。平均気温にして2〜3℃は確実に寒く、いわば「プチ氷河期」ともいえる時代であったと言われています。当然、そんな時期ですから、政局不安定も甚だしく、アメリカ独立戦争、フランス革命、クリミア戦争そして明治維新と歴史のターニングポイントがてんこ盛りの時代でもありました。
温暖な地 信州
ということはその他の時代は暖かであった。本来温暖種である「米」が長野県でも収穫できるほどであったといえます。弥生時代前後はとくに顕著で、千曲川流域には住居遺跡があちらこちらにあり、「千曲川古墳群」と呼称できるほど数多い古墳が連なっております。