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母親であるがゆえの生きづらさ

生きづらさを抱えて
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子どもが生まれて、母親という存在になり、
「自分が元々持っている生きづらさ」に加えて
「子どもがいるからこその生きづらさ」を抱くようになりました。

本来は、子ども自身の生きづらさだといえることでも
その子の母親だからこそ、
自分の生きづらさと同等に考えてしまうのです。

我が子でいえば
「発達の遅れ」
「慢性便秘症」
「環境に適応しづらい」
という点です。

3歳児検診で、言葉の発達などを指摘された息子。
薄々そんな気はしていたものの、他者から指摘されてしまうとますます気になってしまいます。
保育園で同じクラスの子を見ても、言葉は確かに遅れているように感じます。
「大丈夫かな?」「もっと話せるようになるかな?」
息子へのそんな心配が常にどこかにあります。

新生児期から便秘体質だった息子。
離乳食が始まってからは、さらに酷くなりました。
2歳ごろからは薬を服用。
下剤や浣腸で排便させることもしばしば。
最近では、かかりつけ医から「大きな病院へ紹介状を書く」と言われてしまいました。
私の頭の中には「今日は便秘〇日目…自力で出るかな?」「そろそろ浣腸すべきかな」と、常に子どもの排便に関する悩みがあります。
保育園で「今日も出なかったです」と言われるたびに気持ちも滅入ります。

1歳から保育園に入園した息子。
2歳児クラスへの進級、3歳児クラスへの進級…と経験しました。
入園時は当然だとしても、進級時にもギャン泣きし、「環境に対する適応への遅さ」が目立っていました。
イヤイヤ期も酷く、毎日保育園の玄関で暴れていました。
「同じクラスの他の子は泣いてないのに…」「他の子はこんなに暴れないのに…」と毎日思いながら登園しています。

子どもが成長する喜びと同じくらい、心配がゆえの「生きづらさ」を感じる日々。
過ぎてみればいい思い出と言えるのかもしれませんが、
まだまだ「生きづらさ」の真っ只中。

でも、息子を大事に思っているからこその「生きづらさ」なのだと思います。
きっと息子が年を重ねるごとに新しい「生きづらさ」が生まれるのでしょう。
それも、母になった証、母になった喜びの一つだと感じたいところです。

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