死を目前とした一人の女性と、被災で多くの死を目にし人生を失った青年の交流を描いた物語『沖晴くんの涙を殺して』。
本作は末期がんで余命1年となった教師と、過去の震災で「喜び」以外の感情を失った高校生の切ない交流を描いたヒューマンドラマ。
撮影は、美しい海と豊かな自然が広がる広島県の江田島などを中心に行われました。
死を前にした生々しい葛藤と、「死神との取引」というファンタジックな設定の融合の中で「笑顔」の裏に隠された過酷な運命、そしてタイトルに込められた真意が、瀬戸内海の穏やかな映像美とともに丁寧に紡がれます。
映画『沖晴くんの涙を殺して』とは
作品概要

(C)2026 額賀澪/双葉社「沖晴くんの涙を殺して」製作委員会
余命1年の音楽教師と、死神に「喜び」以外の感情を奪われた高校生の切なくも温かい交流を描くヒューマンドラマ。小説家・額賀澪による同名長編小説を原作として映像化されました。
メインキャストを務めるのは、木戸大聖、広瀬アリスの二人。ほかに満島真之介、北乃きい、戸田菜穂、根岸季衣らが名を連ねています。
作品を手がけたのは『三月のライオン』『ストロベリーショートケイクス』などの矢崎仁司監督。劇中曲には谷川俊太郎の詩「生きる」を起用し、尾崎世界観(クリープハイプ)が作曲を手がけたました。また主題歌を韓国のボーイズグループ「TOMORROW X TOGETHER」が担当しています。
製作年:2026年(日本映画)
監督:矢崎仁司
原作:額賀澪
出演:広瀬アリス、木戸大聖、清乃あさ姫、設楽もね、伊藤絃、草野康太、趙珉和、満島真之介、北乃きい、戸田菜穂、根岸季衣ほか
配給:彩プロ
公開:2026年10月2日より全国公開(9月18日より広島にて先行公開)
あらすじ

(C)2026 額賀澪/双葉社「沖晴くんの涙を殺して」製作委員会
末期の乳がんで余命1年を宣告された音楽教師・踊場京香。彼女は、治療しないことを選択し、瀬戸内海の島に帰郷します。
祖母が経営するカフェを手伝いながら母校の合唱部の指導をすることになった彼女は、ここでいつも笑顔を絶やさない不思議な高校生・志津川沖晴と出会います。
津波で家族を亡くしたことを笑いながら話す彼に、京香がなぜ笑うのか尋ねると、彼は「津波に流された際に死神と取引して、喜び以外の感情を失ってしまった」のだと答えます。
ところがある事件をきっかけに、彼の失われたはずの感情が少しずつ取り戻されて…。
「喜び」だけでは、人は生きていけない

(C)2026 額賀澪/双葉社「沖晴くんの涙を殺して」製作委員会
本作は一見すると「余命もの」と「震災後の喪失」を組み合わせたヒューマンドラマ。しかし実際には、「生きるとは何か」という問いを、感情そのものの意味から見つめ直す作品といえるでしょう。
物語の中心にいるのは、余命1年を宣告されながら治療を拒み故郷へ戻った京香と、東日本大震災で家族を失い、「悪魔と取引して喜び以外の感情を差し出した」と信じている青年・沖晴。
沖晴は常に笑っており、その笑顔は爽やかというより、むしろ不自然。気持ち悪いと感じるほど笑っている。だからこそ観客は早い段階で気づきます。「彼の笑顔は幸福の証しではなく、感情の欠落によって貼り付いた仮面なのだ」と。
作中では度々、震災当時の記憶が挿入されます。その映像がわずかに寒色を帯びていることも印象的。それは過去の出来事というだけではなく、彼の心の温度そのものを表しているように見えます。
本作で注意すべきは、「喜びだけを持って生きることは幸せなのか」という問いを真正面から突きつける点です。

(C)2026 額賀澪/双葉社「沖晴くんの涙を殺して」製作委員会
人は悲しみや怒り、恐れを忌避しがちです。もしそれらがなくなれば楽になれるのではないか。原作や映画が出発点としているのも、その発想でしょう。
しかし沖晴は、その状態で決して幸福ではありません。周囲からは「死神」と呼ばれ、いじめの対象にもなる。人が死ぬ時が分かるという彼の特殊な感覚も、人生を豊かにするどころか孤立を深めるばかりです。
さらに印象深いのは、「この顔しかできないんだ」という彼の存在の苦しさです。
笑顔しか作れないからこそ本心が伝わらず、時には無茶な行動にさえつながってしまう。感情がないことは自由ではなく、人との関係を築くための手段を失うことなのだと映画は語ります。
だからこそ終盤に向かうにつれ、彼の内側から少しずつ顔を出す嫌悪や怒りが重要になります。それらはネガティブな感情ではなく、「生きている証し」として描かれているのです。
「死」が見える者たちが見つけた、生きる理由

(C)2026 額賀澪/双葉社「沖晴くんの涙を殺して」製作委員会
本作にはもうひとつ大きな軸があります。それは京香の物語です。
余命宣告を受けた彼女は、自ら治療しない選択をしています。そのため劇中では、「一人で勝手に決めるなよ」と彼女に詰め寄る男性との対立も描かれます。
けれど映画を観ていると、その男性の言葉が正しいとも簡単にはいえません。もし自分が死を目前にしていたらどうだろうか?人生の終わり方を決める権利は誰のものなのか?本作はその難しい問題に安易な答えを与えません。
一方で興味深いのは、京香と沖晴が実はよく似た存在であることです。だからこそ京香は彼に惹かれたのでしょう。
沖晴は、なぜ京香が自分を助けようとするのか理解できません。しかし客観的に見ると、彼が自身の境遇に持つ「なんでオレだったんだ?」という問いが、京香自身の「なんで私が病気になったのか」という叫びにも重なっています。
二人は互いを通して、自分自身を見つめ直していくのです。

(C)2026 額賀澪/双葉社「沖晴くんの涙を殺して」製作委員会
そしてタイトルにもなっている「涙を殺して」という言葉。
ラストシーンで沖晴は、いきなり大きな感情の変化を表情に見せます。なぜ彼はそんな顔を見せたのか?それは単に悲しかったからではないでしょう。
「死ぬことが怖い」「生きることも怖い」「誰かを失うことが怖い」それでも生きたい。
その瞬間、彼は失われていた感情を取り戻したのではないか。
人の死は必ずしも悲しいだけのものではない。しかし人を失うことを悲しいと思える心は、生きているからこそ存在する。本作はその当たり前の事実を静かに肯定します。
この物語は「涙を流す映画」ではなく「涙を取り戻す映画」。観終わったあとに残るのは、「どう死ぬか」ではなく「どう生きるか」という、シンプルで重い問いであるといえるでしょう。



