11月22日より3日間に亘り、広島にてイベント『広島国際映画祭2024』が開催されました。
この映画祭は2009年に開催された「ダマー映画祭inヒロシマ」を前進として誕生したもので、広島という地でおこなわれることをコンセプトとして「ポジティブな力を持つ作品を、世界から集めた映画祭。」というポリシーを掲げ毎年開催されています。
今回はコラムにて、この映画祭で特別招待された作品を、イベントに招待されたゲストによるトークショーのレポートとともに紹介していきたいと思います。
第1回は、監督による映画『「MEIKO」被爆者である母のこと~南方特別留学生との友情』です。
映画『「MEIKO」被爆者である母のこと~南方特別留学生との友情』とは
概要
広島に住む被爆者・栗原明子(めいこ)さんの体験を描いた物語。
作品は明子さんの娘であるエミさんが母より告げられた体験の記憶を基に描き上げた紙芝居と明子さんの証言により描く。
あらすじ
広島に住むエミの母は広島で被爆した明子(めいこ)。
明子は1945年8月6日、広島・向洋の工場で原爆に遭いました。
広島市内で医者として働く父を探して、被爆地を歩き続ける明子。しかし父の行方はわからず、彼女は途方に暮れていました。
そんなとき、当時、東南アジアから広島の大学に留学していた「南方特別留学生」に会います。大惨事に遭いながらも協力的な彼らとともに、明子は生きる希望を求めて奮闘していくのでした。
広島国際映画祭2024 制作監督 トークショー
作品は11月24日に上映され、公開後には作品を手掛けた制作監督が登壇し、映画製作にまつわる経緯などを語りました。
本作の製作のきっかけは、監督がこの物語の主人公である被爆者の明子さんが、数年前に広島女学院で自身の体験を語るイベントをおこなわれた際、その際に留学生との話をうかがったことがきっかけだったと振り返ります。
本作で注目すべきポイントは、「南方特別留学生」という国外の人々が、悲惨な状況に会いながらも日本の被爆者たちと協力的な関係を築いていた点。留学生たちは東南アジアからの来日者でしたが、地元では名のある家から来た徳のある人々。
残念ながら留学生の一人は、その後被爆の後遺症が発病し、病院の先生より輸血を受けながらも京都の病院で亡くなられたそう。
しかしその死の間際、先生は彼が故郷から離れた遠方で亡くなることを不憫に思われたものの、彼はこれがきっかけで先生から血を分けてもらったことに深く感謝し、被爆という体験を超えた深い人同士の交流の喜びを伝えたといいます。
原爆で「日本人だけでなく、海外の人も亡くなっていた」という事実とともに、留学生たちが過酷な状況の中でも見せた人を思いやる気持ちを深く感じ、監督はこの話を伝えていくことを決意したと振り返っていました。
「知られざる事実を知ること」と「手を差し伸べること」
意外にもあまり知られていない事実があることを知ると、人は改めてそのことに改めて注意が向いていきます。
「広島で被爆したのは、日本人だけではなかった」
広島の惨事は長く言い伝えられてきましたが、この物語はその大きな事件に対しあまり知られていないことがまだたくさんあるという事実を、改めて知らせてくれるものでもあります。
原爆の被害を受けたのは日本、日本国民だけが受けた悲劇であると考えがちな一方で、他の国でも被爆体験者がいるということは、ある意味反核という社会的課題が世界的なものであることを改めて示してくれているようでもあります。
戦争という行為は、どの国が…と善悪を国同医師の対立としてひと括りにしてしまう傾向がありますが、そんな流れに対しても、この事実は異議を唱えているように感じられます。日本人以外に被爆者がいたという事実は、当時よりグローバル化が進んだ現代においては、なおさら世界が無視できない問題であると感じられることでしょう。
また物語で印象深いのは、当時の留学生が自分たちもひどい目に遭ったにもかかわらず、明子さんに対して非常に協力的であったことにもあります。
あまりにもむごたらしい状況の中、自分が生き残ることだけを考えざるを得ない状況の中でも、隣の誰かに手を差し伸べる。
近年、反核運動は貴重な体験を語り継ぐ被爆者も減少しており、反核を押し進めるという動きへの意識が薄れる傾向にあります。一方で近年は国同士の紛争も顕著に見られ、核使用の危機、緊張が溢れ、改めてこの問題への注目が求められている時期にもあります。
この危機に向き合う若い世代の人たちは、その複雑な状況の中で「この課題に対し、自分たちはなにをすればいいのか」と悩んでいるわけですが、この何らかの柵(しがらみ)を超えて人を助け合ったというエピソードは、ある意味その悩みに向き合うための一つのヒントを示してくれているようにも感じられます。