こんにちは!くるみです。
一般就労と、作業所での就労。どちらも経験した私が「作業所」(就労継続支援A型事業所、就労継続支援B型事業所)の知られざる世界を皆さまにお伝えしていきます。
作業所って、実は自分の見識をとても広げることができる場です。
今回は、そんなことを書いてみたいと思います。
※辛口な意見も書きますが、各々の作業環境や障害によっても異なりますので、あくまでも私の経験した範囲での事とご承知おきください。
多様性の玉手箱
ダイバーシティだとか、インクルーシブ教育だとかいろいろ叫ばれているよね、今日この頃。
実は、障害を持つ当事者であっても、自分とは違う障害のことについては、ほとんど実情を知らなかったりするのです。
あの人はどんなことに日々、困っているのか。どのようなことに配慮すればいいのか。あまり分かっていない。
特別支援学校ではなく普通校に通っていたり、健常者ばかりが周囲にいる状況で生きてきた場合には、なおさらそうでね。
自分も障害当事者なのに、違う障害を持つ人に対して、知らず知らずのうちに偏見を持っていることもよくあります。
作業所には様々な障害を持つ人が利用者として来ているから、本当の意味での多様性を体験する事が出来ます。
作業所によっては受け入れる障害の種類を「精神障害者のみ」「知的・精神のみ」など限定しているところもありますが、私が通所した就労継続支援B型事業所は、身体障害、精神障害、知的障害すべてを受け入れていました。
多様性の中で、はぐくまれる意識
例えば、目が見えない利用者が机の下に物を落とし、あれ?どこに行ったかな?と手探りで探しておられました。その様子に気付いた、精神障害のある利用者が、ささっと走り寄って、それを拾い上げて手渡しました。
職員が説明した内容を、あまり理解できずにいた知的障害のある利用者。身体障害の利用者が、話をかみ砕いて説明してあげている様子は、年齢差もあって、まるで、おじいちゃんと孫のようでした。
その知的障害のある利用者は、車椅子の利用者がエレベーターに乗り降りする時にその場に居合わせると、ドアの開くボタンを押して「どうぞ」と言って待っています。
誰に言われるでもなく、相手が困っていることを察して動く。それぞれの障害は違えど、自分に出来る事で、困っている相手をサポートする。
そういった意識が根付いていました。
一般社会と作業所、どちらが健全な世の中なのか
作業所を出た「外の世界」でも、そういう意識というか、当たり前のことができる社会であってほしいと思うなー。
視覚障害の利用者が、走ってきた自転車に白杖を折られ、そのまま逃げられ、大切な道しるべを無くして途方に暮れていた。
車椅子を使っている利用者が、バスに乗ろうとしても、立っている乗客たちが奥に詰めてくれず、車椅子用の場所に近付けなかった。
そんなことがあってねえ…と、しみじみ語る利用者仲間たちの話を聞いて、私はとても悲しくて、どうすれば思いやりのある社会になるんだろうと思ったのでした。そういえば自分も、あんなこと、こんなことがあったよなぁと思い出したりして。
「思いやり」なんていう言葉よりも前に、自然と体が動くような動作というようなものなんだけどなー。
いつか誰でも「障害者」になる可能性が高いってこと、分かってます?みなさん。
自分だけは大丈夫と思っていても、一瞬だからね。障害者になることなんて。
事故に遭ったり、病気になったり。高齢で足を悪くして歩きづらくなったり。
そんなときに「こんなはずじゃなかった」と後悔するような世の中にしたいですか?