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イベント取材の経験から得た「チャレンジ」への心構え

ライフワーク
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私は2009年に会社を退職し、思い余ってライターの世界に飛び込みました。

自分に何ができるか、何が書けるのかと自問しながら考えたことは「自分の知らない世界を積極的に見にいかないと、わからないことはたくさんある」ということでした。つまり「取材」を行う必要性があると思ったというわけです。

しかし、そもそも「門外漢」の自分が、経験や知識もなくこういった現場に入るというのは実は難しいこともたくさんありました。

今回お話しするのは、そんな私の「不安だったけど、飛び込んだ」という経験談であります。何か一歩踏み出したい!と考えている方に向けての覚悟を作る手助けとなれば幸いです。

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自分が「イベント取材を行う者」へと流れた経緯


「ライターになるぞ!」と意気込みさまざまなつてを探してみた当初は、なかなかこれといった大きな流れをつかむことができず悶々とした日々を過ごしていました。

そんな時にたまたまインターネットで目にとまったのが、某映画サイトの「取材記者募集」という項目。

ときどき映画関連、特に芸能ニュース的なネタを幅広く扱っているメディアではこうした募集を行うことがあるのですが、仕事としては映画の初日舞台あいさつや、俳優や有名人が登壇する商品発売キャンペーンなどのイベントに出向いて、その雑感をテキストで記録し記事用の文章としてまとめるというもの。

さらに数枚の写真撮影を行って入稿する必要があり、経験のない人にとってはなかなかにやることも多く、大変そうな仕事だという印象でしょう。

「よくわからないジャンルだけど、まずはチャレンジしてみるか」という気構えとともに、それぞれのミッションに対して「なんとか頑張れば、できるだろう」という当たりだけをつけておいて、難しそうだけど飛び込んでみたわけです。

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入稿の厳しさ


ミッションとしては、イベント終了後1時間以内に「Webサイトのニュースとしての見栄えを考えて800~1000文字程度のテキスト」、それに「数枚の写真」を入稿せよ、なんてことが普通でした。

請け負った仕事としては「一人で何でもやる」という気構えが必要で、結構ハードな仕事です。

また入稿に対する要求として、メディア側からリクエストされるポイントというのが実はクセモノだったのです。

最初に私は依頼された仕事の本質を理解せず「イベント取材なんだから、イベントそのものの雑感を取材すればいいんだろう」と思っていたところ、メディア側からは「イベント自体は二の次、この人を中心に書いてください!」なんて注意が下るわけです。

「イベントの取材なのに、そんなの放っておけって?」と最初は担当者と衝突することもありました。そもそもイベント主催側から「あなたたち、何を取材に来たの?」と言われないだろうか、なんてことも頭をよぎるわけです。

実はもともと主催側、メディア側に暗黙のルールに基づいた関係があって、そのことにとやかく言われることはないということだったようで、後になってそれを知った私は「何も知らない」自分の辛さを痛感していったわけです。

そして経験をさらに積んでいく中で「世の人が、どんなことを知りたがっているか」というニーズに従ってメディアは動いているのだ、ということを理解するとともに、今までいかに自分が主観性だけで物事を考えていたかを思い知らされるのでした。

「よそ者」には居心地の悪い場所


一方でイベント取材における現場の、独特の雰囲気にも最初は面喰らいました。

インタビュー取材と違い、自分は他のメディア取材陣と取材場所を共にして対象への取材を行っていくわけですが、そのほとんどにおいてお互いに「勝手知ったる仲」の人同士が集まる場所という雰囲気。

その業界ならではのコミュニティーでつながった人で埋まっていたほとんどの現場は、何のつてもなく飛び込んだ自分にとっては非常に居心地の悪い場所でした。

またイベントへの会場入り順は、受付の早いもの順が基本でしたので、カメラ撮影を行う必要性からいい場所を取りたいと思えば、早く受付の列に並ぶわけですが、大体がスポーツ新聞や週刊誌のベテランカメラマンみたいな人がずらっと先を陣取るわけで、変に間違えて早く来てしまうとベテランカメラマンの間に挟まれてしまい、非常に肩身の狭い思いをするわけです。

「撮影タイムです」とカメラ撮影を許可されようものなら、大砲のようなレンズを備えた高そうなカメラを持ったカメラマンが「俺が一番いい写真を撮るぜ!」とばかりにがっついた表情で被写体を狙います。

一方で、取材から入稿まで時間がないこともあって、イベント中に登壇している人がトークをしている間、ずっとノートPCをパチパチと叩いている人があちこちにもいて、とにかく落ち着きません。

またジャンル的に異なるメディアが集まってしまうと、時に衝突のもとにもなります。

たとえばとあるアート系のイベントに有名な芸能人を呼ぶと、芸能系のメディアと「アート、イベント」系のメディアが集まってしまうわけです。

瞬間のシャッターチャンスを狙いながらも、ルール順守が絶対の芸能系メディアは、どちらかというとそれ程厳しくない撮影条件で仕事をしている他メディア側のカメラマンが、あまりよくわからないままに場所を取って他のカメラマンの邪魔をしたり、変な行動を取ったりすると容赦なく怒鳴られたり。

現場の不文律を知るためにかなり苦労したことも、今思えばあったと思います。

「名刺配り」で徐々に現場の人へ、そして得られた「知ること」


とまあ、こんな「居心地の悪さ」だけを感じていた現場に通って、いつの間にか数年が過ぎていました。

数年もそんな場所で仕事を続けられたのは、意識の変化があったからだと思います。

もちろんこの世界は外部から見ると、異質にも見えるところがあるかもしれません。しかしこの世界にはこの世界の通例というものもあり、逆にこの地点から外を見渡せば、外の方が異質に見える可能性もあります。

当初の私は自分がそれまで生きてきた世界を基準にメディア業界というものを眺めたことで「この業界って変」「やりにくい人たちだな…」くらいのことを思ってしまい、相手を知る努力を怠ってしまったのではないかと思います。

そんな思いが自分の中に芽生えてからは、徐々に相手を知るために自分から積極的に名刺を配りあいさつをしてみたり、周りの人の振る舞いに注意してみたりと、「現場を知る」「相手を知る」ことに対しての意識の変化がおこり、以前ほどの居心地の悪さをおぼえることはありませんでした。

また執筆に関しても、自身のポートフォリオが増えてきたこともあり「こんな感じですかね」と事前イメージの打ち合わせができる余裕が生まれたり、「相手がこんなことを考えているかもしれない」という配慮ができたりと、編集担当者への接し方も変わってきたような気がします。

そしてこの「相手を知る」という意識はそのまま、今自分が持つさまざまな探求心をさらに育んでくれたようでもあります。

地方と首都圏の違い


そして2020年初頭、私はコロナ禍が全世界を席巻する寸前に首都圏から地方へと戻ってきたわけですが、実はこの際にも面喰らったことがありました。

首都圏ではあまりにも取材メディアが多いため、宣伝の担当者がうまく取材現場をまとめて仕切りイベントを進めていくことがほとんどでした。

ところが、地方になると取材陣という存在自体も少ないためか「好きなだけ勝手に取材してください」とほったらかし状態(笑)。

「取材し放題」なんて……大人数で制限も多かった首都圏の取材に比べるとありがたい気もしますが、しばらくはぎこちない空気も感じていました。

そのぎこちなさは、やはり新たな環境、新たな出会いにいかに慣れていく、という心構えがまだできていなかったからではないかと今、思っているところではあります。

こうして考えてみると、本当に「何かを知る」ということは単にネットに流れているだけの情報がすべてではない、という気もしますし、まさに「知る」ための覚悟と気構えが必要だったのではないかと思います。

これは「イベント取材」というケースにとどまらず、自分の知らない新たな一歩を踏み出すこと、そのすべてに当てはまるものでもあると思いますし、また「何か新しいことをしよう」と今まさに目論んでいる自分には、同様に「苦しいこと」「得られて意識が変わること」の両方が自分の中に沸き上がるのを、不安とともにちょっとワクワクした気持ちで待ち構えているところであります。

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この記事を書いた人
黒野 でみを

40歳で会社員からライターに転身、50歳で東京より実家の広島に戻ってきました。
幼い頃からさまざまなコンプレックスや生きづらさを抱えながら、自身の道を見つけるために「ライター」という生き方を選んで生きてきました。
誰かの生き方に小さな灯がともせるようなコンテンツが提供できれば幸いです。

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