はじめに
モダニズム建築
といえばひどく硬いイメージをもっていました。機能主義、合理主義、五原則、ドミノシステム、モデュロールなど理論が先行した硬派なデザインが多いというか。平たく言えば昔の公営住宅や事務所ビル。古くなればそれなりに味は出て来ますがさほどに面白くないものが多い。
悪口
「衛生陶器」と悪口を言われる事があるのはこの辺りにありますが、元はといえば旧弊だらけのヨーロッパ カトリック社会、あるいは石積文化からの脱却を目指した、言わば革命運動であったから致し方のないところもあります。
ル・コルビュジエ
ル・コルビュジエという方はその先頭にいたわけですが、とてもデザインが上手かった。ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅、サヴォア邸、ラ・トゥーレットの修道院などをみるとあなたの理論って後づけだよね?と思わされるほど素晴らしい。西洋美術館しか観たことがないのが残念すぎます。いつかヨーロッパで作品群に接してみたいものです。
3人の日本人
このル・コルビュジェの元で学んだ日本人が3人います。前川國男、坂倉準三そして吉阪隆正。前川、坂倉の両氏は戦前のわりとパチっとしたデザインの時代に学んだためか、イメージ通りのモダニズムな建築が多いようです。前者は新潟市立美術館、後者は新宿西口広場が好きです。
前川國男と新潟市立美術館
坂倉準三と新宿駅西口広場
三番目の弟子吉阪隆正
この方は早大理工学部長だったり日本建築学会長だったり。早稲田大学赤道アフリカ横断遠征隊を組織として「アフリカ横断一万キロ」を達成しちゃったり。登山家としても有名でアラスカ・マッキンリー遠征隊長を務めたりと、私はむしろ冒険家として知っていた人物です。もっとも、本業は前川、坂倉両先輩に比べれば数も少なかったり、あまりにも後期コルビュジェに影響された奔放すぎるデザインだったり、「みなでつくる」という個人の業績にこだわらなかったり、と一般注目度は低かったかもしれません。
代表作
鉄筋コンクリートとレンガ積みをダイナミックに組み合わせた「浦邸」
神田の通り沿いにピシッと建つ「アテネ・フランセ」など味のある、どこか懐かしいステキなデザインをされる方。
四角錐を大地に突き刺したような「大学セミナーハウス」はウルトラセブンや昔の特撮番組によく登場していたのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
そして今回は長野県における吉阪作品のお話。…といきたいところですが、長くなったので続きはまた