幼いころから、よく「イジメ」に遭うことの多かった自分でありましたが、その理由をそれほど自分で意識したことはありませんでした。そして中学校のこと、学校のクラブ活動で卓球部に入った際、2年目に酷いイジメに遭うという経験をしました。
あの「イジメを受ける」という行為は、果たして何が原因だったのか。歳をとってからは考えるまでもなくイジメられていた事実さえ記憶の隅に追いやられていました。
それからちょうど自分の歳が30を過ぎたころ。期間的にはイジメを受けていた14~15歳のときから、さらに15年以上の歳を重ねた時期に当たります。このとき偶然、中学校最終学年のクラスのメンバーより「クラス会をしよう」という案内を受け取りました。
最初は気が進まなかったのですが、何かのきっかけで「行った方がいい、行くべきだ」と思い、参加してきました。
ところがそこで待っていたのは、単なる「懐かしい」という思いよりも、「ああ、こういうことだったのか」とあの「イジメ」の原因を薄々と感じる雰囲気でした。
今回はクラス会という機会の中で、私が発見した「イジメ」の片鱗と、その現象に対する考察を語っていきたいと思います。
当時知らなかった事実を突き付けられた「クラス会」
当日、会場に行くとすでに宴は始まっていて、賑やかな空気感はあのころの教室そのままとよい印象が感じられました、しかしそんな気持ちは最初だけ、徐々に微妙な、性格的な偏りがそのまま空気となっているような雰囲気をおぼえていきました。
どちらかといえばそのとき「自分が会ってみたい」と思っていた、あのころ親しかった友人らはほとんど欠席で、 自分とは直接つながりの薄い、いわゆる「クラスの人気者」や「裏ボス」と、その取り巻きみたいな連中ばかり。
不思議に思えたのは、あのころ自分をイジメていた、あるいは「イジメ」グループに属していた面々は、やたらと愛想のよい態度で接してきたこと。日々の生活の中でやたら「ああだ」「こうだ」といちゃもんをつけたり、あからさまに嫌がらせをしたりと、対面すること自体が不快だった連中でしたが、なぜかこの日は大きな声で笑い声をあげ、冗談を言い合って場の盛り上げ役に徹しているようでもありました。
一方で、そんな彼らと接していた人物の中には、妙な空気感を発する者がいました。実は当時、彼らはクラスでも頂点に立つような人気者でしたが、この日はどこか陰のあるような存在感。そんな彼らを取り巻く「元いじめっ子」たちは、どうもかすかに彼らに気を使っている様子も見られました。
試しにその彼らのもとに行き、酒を勧めて話を聞いてみようとしましたが、相手は拒否しこちらの顔を見ようともしていませんでした。そんな男子たちに対する、女子たちのその場での振る舞いもどこか違和感があり、自分としては妙な気持ちだけが残る宴の場でした。
あの場にはすでに定年退職されたクラス担任の先生もおられたので、とりあえずみんなニコニコ顔ではありましたが、もし先生がいなかったらまた違う雰囲気の宴だっただろうな、という気もしています。
意外な光景から見えた、複雑な青春時代の真実
あの場の中に感じた私の違和感は、今になって考えるといわゆる「イジメ」の構図の中でよくいわれる階層社会、「ヒエラルキー」と呼ばれる構図だったのではないかと思っています。
表向きは皆知らないクラスのトップ的な存在がおり、無意識に彼らの顔色をうかがう「下っ端」のような存在。私はその「下っ端」の憂さ晴らしか、あるいはボスのご機嫌取りのために「イジメ」のような不快な扱いを受けたんじゃないか、と。
またあのころ学校のクラスは複数ありましたが、自分の感知しない他のクラスの面子もどこかそのヒエラルキーと直結する人物構造、つながりは記憶に残っており、今にしてみると「自分はあの階層構造の中で、知らない間にまるで下っ端のさらに下の存在みたいな扱いとされ、『獲物』のような扱いを受けて来たんじゃないか」とふと考えていました。
私が感じたその力関係は、恐らく彼らから見た「イジメやすさ」、つまりは背が低い、太っているなどといった外観や、性格的に見て追い込みやすい性質とか、どこか直感的なイメージによるものではなかったのかと、今にしてみると思います。
近年テレビドラマなどで描かれる「イジメ」の構図は、「親が金持ち」とか、やたらと明確でかつ乗り越えられない、かつわかりやすい前提を見せたがるところがあるようにも感じますが、あのころの自分が感じた格差というのは、そんなイメージとはまた違う、不確かなものでした。
もちろん現代社会に存在するこの構図は、その場所や境遇などでさまざまあり、どれが正しいという定義づけはかなり難しいものではあります。ただ自分から見ると社会一般でいわれるその状況には、違和感をおぼえることもあります。
そんなこんなで正直複雑な気持ちで会場を後にしたあの日。昔を懐かしむという楽しみ、思い出だけが残るクラス会であればよかったのですが、私には知らなかった事実を突き付けられ、自分自身がさまざまなことに気づけていなかった鈍さを思い知らされたような、苦しい思いを自分自身に感じました。
「有益」か「後悔」か?今改めて思うあの機会の意味
また、あの日出席していなかった面子のことを考えると複雑な気持ちでもあります。
ひょっとして彼らの中には、中学校時代にそもそものヒエラルキーのような関係をすでに感じとっており、その中に敢えてまた身を投じるなどということはしないという要領をわきまえていたか、あるいは私などよりよっぽど酷い目にあっていて、二度とあの面子と顔を合わせたいとは思わない、と思っていた人物もいたかもしれません。
それでも敢えてこんなつらい思いをするところに足を踏み入れるべきでなかったのかといえば、それも違ったのではないかと、さまざまな思いが頭を駆け巡っている今現在であるわけです。