楽しく遊んだのに疲れた
あれは私が自分の足でまだ歩いていた、20代後半の頃。休日に駅ビルで友人とランチし、お買い物をして帰路についた夕刻。
駅から自宅まで、路線バスで帰るのだが、選択肢に挙がるバスは3路線ある。
バスAは、直線距離に近い道を通るため所要時間が最も短く30分。バスBは、少し遠回りするので所要時間40分。バスCは最も遠回りで、所要時間50分。
普通ならバスAを選ぶところだけど、この日、私はあえてバスCを選んだ。広いバスターミナルの中で、乗り場が最も近かったのだ。といってもAとCの乗り場は50mしか離れてない。
でもこの時の私は、一日中いろいろと駅ビル内を歩き回り疲れ果てていた。もう、あと50mさえも歩きたくなかった。
早く座りたい、そう思った。歩けるけれど、進行性筋疾患のせいで明らかに歩行できる距離が年々短くなっていくのを実感し、落胆し、でもどうしようもないよなと開き直り、ランチに食べたパスタの美味しさを思い出して現実逃避した。
そして、わざわざ遠回りのバスに乗り込んだ。空いている席は少なく、最後尾の4人ほどが横に並んで座る席に着いた。本当はもっと前の方の席が降りるときに降りやすいしいいのだけど。空いていなかった。
まあいいか。座れればどこでも構わない。最寄りバス停に着くまでの50分間、居眠りもできるしちょうどいいや。バスの揺れはなぜかすぐ眠りに落ちる。ああ、疲れた…・。
挙動不審
居眠りしながらも、バスの停留所を知らせるアナウンスはおぼろげに聞いているのが不思議だ。あと4つほどで降りなきゃというあたりで目を覚まし、周りを見渡す。乗り込んだときにはあれほど混んでいた車内も、もう立っている人は誰もいなくて、10人程がそれぞれの席に座っていた。
「さて、そろそろ前のほうに移動するか」と思った時、真ん中あたりの優先席に座っているおじいさんの動きに目が留まった。停留所にバスが停まるたび、腰を浮かせて立ち上がりかけながらバス停を見て、また腰を下ろして、また次の停留所で腰を浮かせてを繰り返していた。
「降りる場所が気になって、不安なのかなぁ」と思いながら、おじいさんのラフすぎる服装が気になった。白いTシャツに、ズボンはズボンというよりパジャマに近いような薄い部屋着。
あ、もうすぐ降りなきゃ、と私は席を立ってゆっくり前に移動した。そのおじいさんの真横に来た時、おじいさんを見て心臓が止まりそうになった。
・・・え? おじいちゃん!!
まぎれもなく私の祖父だった。
決め手はフランケンシュタイン
そこに絶対居るはずの無い人だった。というか、居てはいけない人だった。なぜならおじいちゃんは認知症が進み、少し前から特養に入所していたからだ。しかも、ここから1時間以上も離れた場所だ。
別人かと思って、まじまじと観察してみた。
顔は、おじいちゃん。昔とは顔つきが少し変わったけど、間違いなくおじいちゃんだ。
そして頭と額のあいだにある、フランケンシュタインのような縫い目。
これだ!おじいちゃんだ!これが決め手だった。
1週間ほど前に特養で転倒し、額を縫ったと施設から母に連絡があったのを覚えていた。まだ抜糸していない糸が少し垂れ下がっていて、怖さに拍車をかけている。転倒したときの内出血の跡もまだ残っていて、殴られた人みたいだった。
おじいちゃんの前の席に座っていた若い女の子は、挙動不審でフランケンな老人を明らかに怖がっていた。
そして履いている靴を見ると、小学校で履くような白い上履き。上履きのかかとの部分に名前が書いてあり…。そう、おじいちゃんの苗字だった。
ま、マジか。
おおきに
もう完全に私もパニくった。意味が分からなかった。
「お、おじいちゃん!何してんの!」と言ったが、おじいちゃんは、ニコニコしてこっちを見るだけ。私のことが孫だとはもう覚えていないのだろう。
そうこうするうちに、私が降りるバス停が近づいてきた。
とりあえず、バスから降ろさなきゃ!と考え「おじいちゃん、ほら降りるで!立って。降りるねんで」と声を掛けると、素直に立って歩いてくれた。
おじいちゃんのぶんの運賃を慌てて財布から出し、震える手で運賃箱に投入。2人でバスを降りた。
降りた場所で、もういちど、おじいちゃんに聞く。「なんでバスに乗ってるん?」
おじいちゃんは私の腕をつかみ、笑顔で「おおきに。おおきに」と言うだけだった。
埒があかないので、携帯電話で自宅に電話をした。
母が出たので「あのなー、今、バス停の前やねんけど。なんでか知らんけど、おじいちゃんが乗ってた。で、とりあえず降ろしたけど、意味わからん」
すると「えええー!おじいちゃん?!よかったー。よく見つけてくれた!」と母が言う。
いや、ただそこに居ただけやねんけど。
「おじいちゃん、施設から脱走して行方不明になっててん。今、みんなが探し回っているんや」と聞かされた。脱走?!そんな簡単に出られない仕組みになっていたはずだけどなあと以前訪問した施設の入り口を思い返していた。
まあ、今から連れて帰るしと言って電話を切り、自宅まで5分の距離をおじいちゃんと歩いた。
おじいちゃんは私の腕を掴んだまま離そうとせず、ただでさえ歩きにくくなってきている私は、正直、手を離してほしかったけどこれは無理だと悟り、2人でゆっくりゆっくり歩いた。
「なあ、私。孫の○○やけど、分かる?」と聞いても、「おおきに。おおきに」とニコニコして繰り返すだけだった。
よく見ると、小さな写真立てをおじいちゃんは胸に抱えていた。3年前に亡くなったおばあちゃんの写真だった。
笑顔と妻への愛
自宅に着いて、私の両親に泣き顔で迎えられたおじいちゃんは、ずっと笑顔だった。しばらくして、街中を必死で探し回っていた叔父や叔母、施設職員たちが大挙して押し寄せた。
「もう、おじいちゃん!あかんやん!勝手に出て行ったら」と叔母たちに叱られ、「無事でよかったですなぁ」と施設職員から泣いて労わられ、そんな大勢の人が集まった様子を見ておじいちゃんはニコニコととても嬉しそうだった。
正月や盆に、祖父母の家に親戚たちと集まって楽しくご飯を食べたあの頃も、おじいちゃんはいつもニコニコしていた。そういう人だった。
私はといえば、おじいちゃんを発見したということでいきなり英雄扱いされたが、施設職員や警察の人から「おじいちゃんはどこから乗ってきたのか」聞かれても、何も答えられなかった。
私が寝ている間に乗ってきたのかもしれないし、私がバスに乗り込んだときに既に居たのかもしれない。混雑していたから前方は見えなかったのだ。こんなことなら降車する時にせめて運転手さんに、どこから乗ってきたかを覚えているか聞くべきだったが、あの時はそんな機転はきかなかった。
ただ、間違いないのは、どうやら何時間もおじいちゃんは徘徊していたらしい。
叔母がふと呟いた。
「そういえば、もうじき、おばあちゃんの命日やなあ。もしかしておじいちゃん、お墓に行きたかったんか?」
ああ、そうだったのか。
あのバスは、おばあちゃんのお墓があるお寺の近くを通る。
見えないものに救われた感謝
もし私があの日、効率的なバスAを選んで乗っていたら。バスBを選んだって、おじいちゃんには巡り合えなかった。
そして友人とあと少しおしゃべりが弾んでいて、あの時間のバスに乗れていなかったら。おじいちゃんと私は会えなかった。バスの本数は多く、同じ便のバスに乗りあわせることすら奇跡なのだった。
認知症の高齢者が行方不明になったり、亡くなって発見されることは多いそうだ。おじいちゃんを見つけたことはほんとうに信じられない出来事だった。
そう、ただの偶然では片づけられない。神も仏も迷信も信じない私だけど、この時だけは祖父母が熱心に信仰し続けてきた仏様が助けてくれたのかなと思っている。
あるいは、天国にいるおばあちゃんかな。
世の中には、偶然で片付けられないこともあるのだ。