皆さんは韓国のテレビバラエティー番組をご覧になったことはありますか?実はこれ、日本のバラエティー番組にかなり似たところがあります。
もちろんすべて韓国語なので、言葉が理解できなければ何を言っているのか、何をしているのかはわからないんですが、なぜか人当たりの雰囲気は言葉がわからないにもかかわらず「あ、日本のバラエティーっぽい」と多くの人が感じるでしょう。
国際情勢的には、日本とは最も近い国であるにもかかわらず、遠い距離感を持つ韓国。
しかし先日、映像関連のサブスクサービスでとある韓国バラエティー番組を見て、現代の日本の境遇と似たような状況を感じました。
今回はそんなメディアの一側面より感じた韓国との親近感より垣間見えた相互理解というポイントについて考えてみたいと思います。
意外な衝撃だった「韓国バラエティー」
果たしてこの「日本のものに似ている」と思われるバラエティーのスタイルは日本が先なのか、あるいは韓国が先なのか…でも見ていると「そんなこと、どうでもいいか」と思えるくらいに楽しそうな雰囲気。そして字幕を見ていると、日本のバラエティー番組とほぼ変わらない楽しさを感じます。
それはなぜか?おそらく人同士の距離感ではないでしょうか。目上の人にはなんとなく敬う姿勢を見せ、同い年や後輩たちには親しい表情を見せる。初対面の人には丁寧な言葉で接し、徐々に距離を縮めていく。意外にこのような人の接し方は「日本では普通だよな」と感じるところがあります。
それを韓国のバラエティー番組で感じるのは不思議なところでもありますが、この違和感は番組を見ていると、だんだんと日本と韓国の距離の近さ、海を隔てた場所にありながら似た文化、風土を持つ民族性をふと感じたりします。
いろんなところで国の違いをいわれている両国ですが、実はそんなに違いはないんじゃないかとも思えてくるところであります。
さて、今回取り上げるのは2020年に韓国で放送された『ソウルの田舎者』というバラエティー番組。
このプログラムはイ・スンギ、チャ・テヒョンというソウル在住の俳優二人組を中心に、ゲストを招いて都会人の視点から地方都市のを眺めるというもの。
日本でいえばさしずめ東京在住の人が大阪や名古屋、福岡といった都市を、現地出身のゲストを招いて楽しく紹介するといった類の番組になるのでしょう。
日本と韓国の共通点1 若者と年配者との会話
『ソウルの田舎者』の第一回、二回で取り上げられたのは釜山(プサン)のエピソード。釜山は韓国の南東部にある大きな港湾都市であります。
釜山は韓国でも映画の街として有名な場所。世界的にも有名な「釜山国際映画祭」が毎年行われ多くの著名人が訪れる一方で、たくさんの映画館が軒を連ねるという「韓国と映画」という関係においては外せない場所であるともいわれています。
この2回のタームに登場したゲストは、釜山出身の俳優、チャン・ヒョクさん。日本でもリメイクされたドラマ『ボイス~112の奇跡~』で主演を務めた俳優で、年齢は大分違うけどある意味日本版で主演を務めた唐沢寿明さんの韓国版みたいな存在じゃないか、と個人的には思っています。
大の映画好きで、若い頃は映画館にも大分通い詰められたというチャンさんは、こんなことを語られていました。
「映画を2本見たければ、同時上映をしている映画館に見に行っていた」
その言葉に、若い人たちはポカーンとしていましたが、その場面を見て私は「えっ、韓国でもそうなの?」と不思議な気持ちになりました。
1980年代頃、日本でも映画はたびたび同時上映の2本立てなんてことをやっている映画館がよくありました。
近年の映画館の運用状況からするととても考えられないことでもありますが、かつてそういう時代があって、イマドキの若い方々と「こんなことがあったんだ」と話している姿には「こんな瞬間に『若い人とそれなりに歳を重ねた人の話が弾むとき』ってあるよな」なんてことをふと考えていました。
日本と韓国の共通点2 場所が語る国の歴史、傷跡
続いて紹介するエピソードは、同番組の第三回、四回で訪れた光州(グァンジュ)でのこと。ここは朝鮮半島の南西部に位置する都市です。
1929年には日本の支配に抵抗する光州学生独立運動があった場所としても知られていますが、この場所でおきた出来事として最も知られているのが1980年の「光州事件」、当時の軍事独裁政権に市民が抵抗を繰り広げた抗争でしょう。
近年では韓国の国民的ベテラン俳優ソン・ガンホ主演の映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年公開)により、多くの人が抗争の犠牲になったそのいたたまれない当時の様子などが伝えられています。
番組では映画でも舞台となった旧道庁周辺を訪れていましたが、当時の事件で建物に着けられた痛々しい銃弾の跡が残されているシーンなどが映し出される一方で、この日登場した光州出身者である、人気K-POPグループ東方神起のユンホさん、そしてMLBでも活躍した元野球選手のキム・ビョンヒョンさんがこんなことを語っていました。
「昔は(普段の会話で)光州事件という単語を口にするのが難しかった」
「今は映画が公開されて、多くの人にわかりやすく知られたから、話しやすくなって、小学校、中学校の時に(この場所を)見学に来る。実際に訪れるので、当然自分たちにとっては他人ごとではなく、当然知るべきものだと思っていた」
これを見た時に私は「韓国にもそういった場所があるのだな」と感慨深い気持ちになりました。
私は広島県在住ですが、皆さんご存知の通り、かつて広島は「原爆投下」という世界最大の悲劇がおきた場所。多くの広島県民の方が語られている通り、この場所では幼い頃から原爆の教訓をもって平和教育というものを強く進められてきました。
一方で2年ほど前に私が被爆関連の映画におけるインタビュー取材を行った時、ある人から「原爆投下からしばらくは、被爆者が『自分は被爆者だ』ということを隠して生きていた」というエピソードがあったことをうかがいました。
両事件とも歴史に深く刻まれた大きな事件であるにもかかわらず、その事実に触れることがタブーとされる時期があったというのです。
「原爆投下」と「光州事件」、人によっては事件として同じものと考えるには無理があるという人もいるかもしれません。しかしどこか「忘れてはならない国の傷跡」として敢えてその当時の姿を残し、教訓を伝え続けている人々の姿勢という意味で、共通するものがあるじゃないかと深く共感したわけです。
隣国の印象を通して感じる「相互理解」
ちなみに光州には「無等競技場」という市民に親しまれた野球場があると、この番組では紹介されました。市民的な野球チームであるヘテ・タイガースのホームグラウンドとなる球場で、現在はホームを「チャンピオンズ・フィールド」なる新しい球場に移しましたが、旧球場も改装し市民に親しまれているとのこと。
広島にも、今はありませんが昔は「広島市民球場」という場があり、広島東洋カープの本拠地として親しまれていました。現在は広島駅に近い場所に「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」として新たなランドマークを形成しました。平和を願う地に明るい未来を願うシンボルのようなものが存在するという意味で、強い親近感を覚えるところでもあります。
私は過去に一度韓国で一人旅をしたことがあるのですが、水源市という街の駅近くにあった観光案内所で、とても日本語が達者な一人の老婆と出会いました。
とても親切な方で、話をしているとそれはもう親し気な「日本の近所のおばちゃん」という雰囲気そのもの。言葉だけまともに通じれば、隣国の人たちというステータスには、日本のそれとどこに違いがあるのだろう、なんて思っていました。
一方、私が会社員時代には、協力会社より徐々に中国や韓国から受け入れたという人が徐々に増えていました。今でこそこうした職場のグローバリゼーションはかなり加速している状況にありますが、当時はまだ黎明期で、たどたどしい日本語で仕事を進める彼らに対して、影で「中国の人はこんな感じで」「韓国は…」などと偏見的なイメージを持つ人もいました。
今から考えるとそれは単に言葉や生活習慣の違いでたまたまそうなっただけで、別に「人間」として自分たちと大きく異なるものがあるわけではなかったように思います。
かつて職場で出会った一人の韓国人女性は、ちょっと当たりのキツい面を持っていた人でしたが、「よく考えたらもっとキツいあたり方をする日本人女性ともたまに会ったりするよな」などと(笑)、ふと思いにふけってみたりするのでした。
その意味では、ステレオタイプとしていわれる「お国柄」というものはなく、相手を知るということで壁は乗り越えられるものであり、自分としてはぜひそれは乗り越えていきたいと思えるわけであります。