はじめに
山国 長野県
長野県は典型的な山国。高々とそびえたつ山脈の合間に“平”とよばれる小さな平野にへばりつくようにして人々が住み暮らしています。
よっつの“平”
“平”とは松本平(安曇平、近年は「安曇野」と呼ばれることが多い)、伊那平、佐久平そして私の住んでいる長野市が属する善光寺平の四か所に大別されます。そして、それぞれの“平”にはそれぞれの歴史がありそれぞれドラマがあるのですが、ひとまずは善光寺平を中心にお話ししていきます。
合戦の地
善光寺平は古来より交通の要衝といえます。…山だらけなので平野部はイヤでもそうなってしまう、ともいえるのですが、そういった場所なので人馬が頻繁に往来する地。したがって幾たびも合戦の舞台となっています。大きなところでは
①横田河原の合戦 治承5年(1181年)
②大塔の合戦 応永7年(1400年)
③川中島の合戦 天文22年(1553年)~永禄4年(1561年)
などが知られています。
①横田河原の合戦
治承4年以仁王の令旨によって挙兵した木曽義仲が、横田河原で平氏側である越後の城氏を打ち破り信州を制圧、その後越後・北陸を制覇する基盤となった合戦です。
②大塔の合戦
応永7年に信濃守護小笠原長秀が、村上氏・井上氏・高梨氏・仁科氏ら有力国人領主及びそれらと結んだ中小国人領主の連合軍と善光寺平南部で争った合戦。守護側が大敗し、以後も信濃国は中小の有力国人領主たちが割拠する時代が続くことになります。
③川中島の合戦
善光寺平の覇権を競って、武田信玄と上杉謙信が10年間、五次に渡る戦いを繰り広げました。
日本史への影響度
認知度からすれば③が断トツに知られています。小説、映画、テレビドラマなどでどれほど扱われたでしょうか。日本史上への影響度といえば①。②は日本史への、というよりも長野って昔から地域間の仲が悪かったんだなぁ、というのが実感できる史実です。のちに真田昌幸、信幸、幸村を輩出する「真田氏」はこの合戦のときに登場します。
合戦場へ
本日はお休みだったので、この3つの合戦の主戦場となった地に行ってきました。
「横田城址」
長野市南部、篠ノ井とよばれる地の住宅街のど真ん中にこの城跡はあります。説明板には昭和7年ころまで堀跡が確認されていたとのことです。
往時は木曽義仲が、小笠原長秀が、もしかしたら山本勘助や多くの兵馬が行き交ったかもしれない地も、現在は二基の鳥居と小さな祠がさみしく祀られているだけです。
まとめ
こんな風景をみていると
夏草や兵どもが夢の跡
という松尾芭蕉の句が思い出され、心の奥底に染み入ってくるかのような気がしました。