クラス会の光景より、当時見えていなかった「イジメ」の裏にある様々な要因を感じました。
そして改めて当時のことを考えると、その要因は思ってもみないほどに根深いものではなかったかと感じています。
そう、それは食パンに生えたカビのように、目には見えないほどの広がりを見せたものだったのではないかと。
今回はあのクラス会をきっかけに、改めて感じる「イジメ」の真実を考えてみたいと思います。
向き合っているようで、「向き合っていなかった」先生たち
当時私への「イジメ」が発覚したときに、担任や周辺の先生は激怒して該当しそうな生徒を呼びつけ、ビンタを食らわせて叱咤しました。
しかしこの時点で気づけばよかったのですが…先生はこの「イジメ」の実態をあまり把握していなかったのではないかと思うのです。
一つの記憶としては、その呼び出された「イジメ」グループの友人らしき生徒がある昼食時に、まるで猛禽類の攻撃のように私の弁当からおかずを一つ強引に持ち去っていったことがありました。
「イジメ」グループたちはその様子を少し離れたところから見てあざ笑っていました。ああ、彼らは私をからかってやろうと離れたところから悪だくみを相談し、その友人らしき生徒が実行犯となった。そしてまんまと策略は成功し彼らの笑いの種になったのだな。
実は密かにされた陰険なこともたくさんあったのですが、そんなことまで先生は知る由もなかったでしょう。「イジメ」グループの召還、叱咤も今にしてみれば体面を保つための形式的なものにとどまっていたのではないかという気もします。
その気づきから考えると、授業中にあった違和感をふっと思い出します。
よく国語、英語、数学などといった教科は、生徒に課題を与えて宿題としてやってこさせて、授業中に当てて答えさせる、そんなやり方ってありましたよね。
あの先生が当てる生徒の傾向って、あったような気がします。成績が優秀な生徒に加えてどちらかというと「ヒエラルキーの下位の生徒」。記憶では先生がいわゆる「上位」の生徒たちを指名した、という記憶があまりありません。
ひょっとして先生方はあのクラスの階層構造を、実は無意識のうちにでも感じていたのではないだろうか。いや、意識して知っていても知らないふりをしていなかっただろうか。
「イジメ」は学校の生徒に限った話と思われがちではありますが、あの記憶からたどると実は思ってもみないところに影響を及ぼしたり、あるいは影響を受けていたりという構図も感じられたりするわけです。
自分自身に気づけなかったあの頃
先生の中で、先に一人だけ私の異変に気づいていた先生がいました。
週に一度しかない音楽担当の女性教員で、よくしゃべることから生徒からは「チャボ」などとあだ名をつけられていましたが、明るくて楽しい先生でした。
その先生がある日、授業の合間に私にそっとこう尋ねました。
「何かあったの?ほかの人の中で、とても孤独そうに見えるんだけど?」
そのときは自分にそんな雰囲気があるなどと感じていなかったので、きょとんとして先生の言葉を否定していました。
しかし今になって考えると、私はやはり他の生徒たちから孤立していたのでしょう。もともと人の中にいるのはそれほど得意ではありませんでしたが、あのときは週一度しか会わない先生にそう気づかれるくらいに独りとなっていたのではないかという気も今になってはしてます。
また、他のときにはこんなことがありました。
そのころはあまりにも「イジメ」が常態化し過ぎ、自分自身が「イジメ」の原因なのだと自分を卑下するようになっていました。「自分が劣っているから、イジメられるのだ」と。
ところがある日、自分のものを「イジメ」グループに取られからかわれているときに、一人の友人が思いのあまり身を挺してそのものを奪い返し、替わりに袋叩きにあってしまったのです。
「お前、いいヤツのふりするんじゃねえよ!」イジメていた生徒の一人が叫びました。
自分のものを取り返してくれた友人。彼は私が「不条理にイジメられている」ということに気づき、勇気を出して行動してくれました。そしてそんな彼に浴びせたイジメっ子たちの罵声は、やはり私に対する行為が「イジメ」であることを暗に認めたという認識なのであります。
過去の自分に気づいた今こそ感じる問題の難しさ
当時は毎日を嫌な気分で過ごしていた私でしたが、今思い返すと「イジメられていた」という認識は、「今だから」こそはっきりと自分の気持ちとして受け止められているといえるでしょう。
とても気分が悪くて生きていくことが辛いという気持ちは当時の方が重かった、それは確かなのですが、やはり当時は自分に起こっている事態を客観的にとらえることもできず、見えない壁にズンズンと押し戻されているような気持ちでした。
今あの全容を考えると、「イジメ」という事態に気づき私の父親が学校に通報したこと、そして「イジメ」の事実が発覚したという流れがこの出来事の大きなポイントでもありましたが、そこに行くまでに誰かも気づきながら、手を差し伸べてくれたわずかの人の行動も、結果的に自分に起こった出来事の意味を決定づけた、ということになります。
一方、なぜ今自分はこんなことにふと気づき、いろんなことを思い返したのか?それは、今でもあの「嫌な感じ」を時々感じるからなんです。
「イジメ」があった、という事実だけを追っていくとあの嫌なときは当時だけのものなのですが、「イジメ」を受けた経験、その要因みたいなものはいつまでも自分に付きまとい、例えば人と接する中で自分の「嫌な感じ」のツボを突かれるような気分になることがあるのです。
人からすれば「なんでそんな些細なことで…」と思われるかもしれませんが、私にとっては死活問題。酷いときにはその「嫌な感じ」が頭から離れず、何も手につかないときもあります。
そんなときにふと思い出したのが当時のことでありました。つまり当時の「イジメ」の記憶は、未だ引きずる「嫌な感じ」の始まりだったのだと思っています。その意味で「イジメ」はその発覚したときにその事象だけを防止すればいい、などという判断はなく、結果的に自分の人生にいつまでも付きまとってくる可能性があるという覚悟が、いずれ必要になってくるだろうと自分としては考えるわけです。
当時のことを考えると、自分の知らない自分のいろいろな性格、性質を知っていくこともあります。その意味で「イジメ」という経験はあくまで「あるべきではない」事象ではありますが、反面今というときを迎える自分にとって重要な経験であったことも認めざるを得ません。
当時「イジメ」という事件を自分が受けなかったら、果たして今自分はどのような気持ちで、どのように毎日を過ごしていただろうか。結果的にそんな答えの出ない問題にいつも悶々としている自分がもどかしくもあるけど、逆にそんな風に悪戦苦闘している自分を人間らしいと自負している自分もいます。
そして社会に飛び交う無責任な「イジメ撲滅!」などといった言葉に強い違和感をおぼえる自分もいて、単に「イジメ」という一言で片づけようとしている問題が、かなり複雑で難しい問題だよな、と改めて考えているわけであります。